コレ、大発明じゃない?

孫の手

 以前には出来たことが、年をとると出来なくなることが増える。

 そんなことは、このブログに何回書いたか分からない。
 ま、いうなら当ブログは、その “年をとると出来なくなるもの” リストの一覧表みたいなものかもしれない。
 
 しかし、出来なくなることばかりではない。
 年をとると以前には出来なかったことが、出来るようになることもある。
 たとえばスロー・スピードの歩行、腰ふらつかせダンス、モノ忘れ言動、盛り上がり病談(病気についての話が盛り上がること)・・・などなど。
 
 もっとも、年とともに老人にもたらすのは、そういった日常の行動様式の変化だけではない。身体の各部位に現われる、見た目の変化・変貌も同列に考えれれるものだ

 たとえば顔のシワ・シミ、皮ふのユルミ・タルミ、頭頂の照度。

 これらの変化はすぐ目につくから分かりやすいが、第三者にはちょっと見えないところに生じる老人特性もある。

 今回とりあげるのはそういうものの一つである。
 ・・・なんてモッタイつけることもないが、それは体のあちこちに生じる「痒み」だ。
 
 特に多いのは背中のカユミ。
 あるとき前ぶれなく突然背中にカユミを感じる。
 トーゼンそこへ意識がいく。神経が集中するといっていい。レンズで光を集めるように。

 するとカユミ感は急上昇する。ロケットの打ち上げほどじゃないにしても、紙ヒコーキをゴムで空へ飛ばすくらい・・・。

 そのカユミが、当人の手が届くところにある場合はまだいい。
 手の届かない所・・・とりわけ指先が届くか届かないか微妙な辺りにあると、カユミ感はいや増す。
 
 なんとかカユイところに指先を届かせようと、体をひねり、ねじり、くねらせる。突如としてコンテンポラリー・ダンスが出現する。

 だがダンサーのように体は柔らかくない。
 そこで、突然瘧(オコリ)の発作を起こしたような、わけの分からないタコ踊りみたいなことを始めるから、そばにいる人はびっくりする。
 
 ・・・で、人前ではガマンする。
 
 しかし人間、ガマンすると欲求は逆に強まる。川の流れを堰き止めると勢いを増すのと同じ。
 できることなら、人の目のない所へ行って、柱の角や樹の幹などに背中を押しつけ、上下左右に体を動かして擦りつける。これだって第三者が見たら、けっこうケッタイな光景だ。
 だが背に腹は代えられない。
 
 問題は、近くに柱や樹のような、背中を擦りつける相手がないときだ。困る。
 
 テレビの動物ものドキュメンタリーでときおり見るが、野生のケモノたちはひっくり返って地面に背中を押しつけ、宙にあげた足を振り回して背中のカユミに対応している。

 しかし人間がこれをやるわけにはいかない。人前でやったらケッタイどころか、気がフレたと思われる。精神科病院か、場合によったら警察に通報される。
 
 背中にカユミが発生し、そこへ手が届かないからといって、死にはしない。
 しかし、カユイのに掻けない苦しさは、経験した者にしかわからない。そしてたいていの年寄りは経験する。
 
 そこで発明されたものがある。
「孫の手」だ。
 極めて単純明快かつ素朴な造り。竹か木をただ細長く削って、先端を少し曲げただけのもの。いまは100円ショップで売られているが、製作費は100円の半分もしないのではないか。

 しかし、これが世界の高齢者を苦悩から救った功績は、1台数十万円もする電動アンマ機などよりはるかに大きいと思う。(いま世界の・・・と言ったが、日本以外でも使われているのかどうかよく知らない)

 ともあれ「孫の手」は、老人にとって救世主的大発明である。・・・とわしはニラんでおる。

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