花や魚は誰がのデザインするの?

神業

 どうしても分からないことがある。
 80数年も生きていながら、どう考えても分からないことが・・・。

 地球を握りつぶしても一滴のしずくも垂れないようなそういった謎は、この世には無限にあるが、中でもわしの気になるのは次の2つである。

 1つは、人間はなぜこの世に生まれてくるのか、という難題。
 そしてもう1つは、この世の生きもの(草花や動物)は誰がデザインするのか、という疑問。
 
 前者は数千年も前から、頭が自慢の連中が必死に考えたりこねくり回したりしているが、それぞれが勝手な思いつきをカッコつけて言ってるだけで、だれもが納得できる答えを出している者は1人もいない。どエライ哲学者・科学者・文学者をふくめて・・・ね。
 
 で、後者。
 これまた前者に負けず劣らず手ごわい相手だ。考えれば考えるほど分からなくなる。

 何でもいい。庭先に生えている草花でも、その辺を這っている昆虫でも、軒先に止まっている小鳥でも、近くの水族館に捕まえられた魚でも・・・。

 彼らに目を近づけてじっくり眺むれば、その形態や色づかいなどのデザインは、世界中の最高デザイナーを集めても遙かに遠く及ばない比類なきダントツの創造性に満ちている。

 写真や映像でしか見られない地の果ての珍しい動植物に至っては、コレをデザインした者は天才、秀才、奇才、鬼才、異才、偉才、英才、鋭才、俊才、駿才、神童、ジーニアス・・・等々すべてを束ねても競合不能である。・・・と思う。
  
 純粋にグラフィカルな面だけからいってもそうだが、そのデザインに捕食テクニックや外敵対策など、彼らが生きていく上に有利な仕掛けまで絡めてあるケースもあるから、そのアットー的な創造性によるデザイン力たるや、目を回して気を失うしかない。

 それを表現する言葉はたった1つだけある。
 ”神業”。

 ・・・と言いながら「それを言っちゃあおしめえよ」という寅さんのセリフも聞こえる。
 たしかにこの言葉を出したら「おしめえ」だ。アッサリ抵抗を放棄するつもりだから。要するに尻尾を巻いて逃げようとしている。
 
 とはいってもこの世には、あるいはこの人生には、だれだって尻尾を巻いて逃げるしか手がない局面もある。それをしないですむ例外は「神」だけだ。
 
 よろしい。認めよう、「神業」。
 地球上の生物すべてのデザインを神が為したとして、その神はどこにマシマスのか?
 どこにいて、どのような手を使って、このワザを連発しているのか。
 
 分からん。
 
 あんた、最初に元に戻ったよ。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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