にもかかわらず

魔が差すとき

 わしはこの記事をオンライン・ニュースで読んだが、新聞報道だったら、おそらく端のほうに小さく載る三面記事扱いだろう。

 エリート男性が盗撮で逮捕されたという事件である。

 だがわしには他人事ではない、三面記事以上の事件だった。エリートとは何の関係もござんせんけどね、あっしは・・・。

 東京都迷惑防止条例違反の罪が審理される法廷の被告席に現れたのは、高価そうだが地味な眼鏡をかけ、高級スーツに身をつつんだ51歳の上品な紳士であった。

 経歴も赫赫たるものだ。
 25歳で有名大学の医学部付属病院で医師としてキャリアをスターとさせ、やがて講師、先任准教授と順調に歩を進めて、教授の候補としても名を挙げられていた。優秀な脳神経内科医である。
 妻と2人の子供もいる。
 
 証人として出廷した同僚の医師は証言する。
「極めて真摯な人物」
「研究で地味な作業を繰り返していた。尊敬していた」
 
 職業・経歴、人品骨柄といい、ふだんの仕事ぶりといい、さらに51歳という年齢を考えても、分別ざかりの、まさに絵に描いたようなエリート人間といっていい。いやわしのような凡人間には、彼を描いた絵を額にいれて飾っておきたいくらいの男だ。

 そんな人間が、どうしてこのようなハレンチ罪で裁かれるようなことになるのか。
 
 彼は街でさりげなく女に後ろから近づいて、靴に仕掛けた小型カメラをスカートの下に差し入れ、生脚や下着などを撮影していたという。その数は数千枚に及ぶらしい。
 
 そんな行為がもし発覚すれば、これまでに築きあげた輝かしいキャリアは一挙に瓦解する可能性を秘めている。
 さらに、妻や子や同僚たちの目に汚物を浴びた姿をさらすことになって、夫や父親や僚友としての社会的人格も崩壊する。
 代償は取り返しのつかないほど大きい。
 
 にもかかわらず・・・である。
 
 性、性欲は神が与えた生きものの本性である。消すことはできない。
 しかし神は同時に人間には理性と知性も与えた。
 ふつうは後者によって前者をコントロールする。

 この事件の被告は、その理性や知性を最も正しく備えていると思われる種族の人間である。
 
 にもかかわらず・・・である。
 
 この「にもかかわらず・・・」というところに、この “人間の魔” の怖さの急所がある。

 なぜなら、この魔が防御の壁を乗り越えて姿を現わすときは、理性や意志は麻酔銃を撃たれた獣のように力を失うからだ。
 あるレベルまでは抑えが利く。が、ある一線を超えると、ダムが崩壊したようにコントロール不能に陥る。
 そこが恐ろしいところなのだ。
 
 わしがさっきから怖い恐ろしいとくり返しているのは、じつはわしの中にも、同じようなものを持っている自覚があるからである。
 この事件のものとはタイプは違うが、ある一線を超えると、理性や意志を蹴散らして姿を現わす “魔” が、自分にも住んでいることを知っているからである。
 
 わしの魔は、いうところの “カンシャク玉” である。
 なあ~だ、と思われるかもしれないが、こいつが顔を出すとき、コントロールが利かなくなる恐ろしさは同じだ。
 
 わしのカンシャク玉が破裂するのは、主として、いつも傍にいる妻に対することが多い。
 しかし若いときは、外で他者に対して破裂することも時にあった。
 総じて社会的に力を持った人物が、筋の通らないことを、権威を笠に着たもの言いで押し通してくるときが多かった。
 
 だがそういうときでも、ふつうは理性や意志で処理して、コトを荒立てないようにやり過ごす。
 ところがなぜかわしの理性や意志は、もともとデキが悪いのか、責任感に欠けるのか、単に逃げ足が速いのか、一線を超えたら現場からはたちまちいなくなる。
 カンシャク玉はフリーハンドを得て、全面的に前に出てくる。
 
 あとで反省はするのだ。ああまたやっちまったと。
 そして日常的には、コイツが出てこないように自戒をしている。
 だがいざとなるとすべては消し飛ぶ。カンシャク玉の独壇場になる。
 そうなるともはや手が負えなくなる。
 
 ”魔” と呼ぶ以外にない。
 
 女性の下半身の盗撮はもちろん許されることではない。
 だが大きなキャリアを棒に振っても、その行為に走ってしまったこの愚かな脳神経内科医には、わしはある種のシンパシーを禁じえないのである。
 
 もっとも、わしの玉も最近は影をひそめた。
 親方の生命力が減衰したので、配下の玉もエネルギー不足なのだろう。
 
 生きとし生けるモノはすべて衰える。
 ・・・ってとことですかね。
 

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