女装戦略

女装戦略

 何日か前の某新聞のコラムに、ど肝を抜かれるような話が書かれていて、思わずへえーッと驚嘆の声をあげた。もっともとわしの「ど肝」は、元々ヤワで抜かれやすいんだけどね。

 そのへんの漁港の堤防などでもよく釣れる魚に、「キュウセンベラ」という魚がいるという。
 カワハギ狙いで投げた針にも、釣り人をソンタクすることなくガンガン外道で釣れるらしい。

 そういう庶民的で気安い魚なのに、見た目には熱帯魚もおネツをあげそうなくらい派手な装いをしているそうだ。「オスは黄緑色で、顔の部分には歌舞伎のクマドリのような赤い線が入っていて、お世辞にもうまそうには見えない」と魚類写真家であるこのコラムの筆者は書いている。

 まあそりゃあそうだろう。いくら美男で知られる海老蔵や幸四郎でも、顔一面にどぎついクマドリをして現われたら、頭からかぶりつきたいとは思わないだろう。女の人はどうか知らんけど・・・。(ちなみにわしは、イケメンなら見境なく食いつく女人を知っておるけど)

 しかしわしが感嘆したのは顔の派手さではない。この魚の処世術・・・というか、この世を生き抜くための手のこんだ戦略だ。

 多くの生きものに共通する一生は、生まれて、成長して、交尾をして、子孫を残して死ぬ、というのが基本中の基本である。

 その際、できるだけ生存力の強い個体を再生産したほうが種にとって望ましい。で、メスは交尾の相手にできるだけ優秀なオスを選ぼうとする。
 具体的にはオス同士を闘わせて、勝ったほうがメスとの交尾権を得る・・・というルールを持つ生きものが多い。
 
 そういうえげつない現実に対して、先のキュウセンベラという魚のオスは、驚くような手の込んだ戦略をとるらしい。
 
 この魚は生まれるときはほとんどがメスとして生まれ、成長すると一部がオスに変身するというのだ。
 なぜ、このようなこねくったことをするのか。

 コラムの筆者は書いていないが、わしが勝手に想像するのは、メスに対してオスの価値感を高めるためではないだろうか、ということである。
 つまりメスの交尾欲(→発情)を刺激するためにとる戦術ではないか・・・と想像するわけだ。
 
 人間もときに同じようなことをやるからだ。
 大きな戦争があると、男は戦場に取られてどんどん死ぬ。つまりシャバにいる男の数は減る。女とのバランスが崩れて、相対的に男の価値が上がる。

 わしは子供のころにこんな光景を目にしたことがある。
 勧められた結婚を渋っていた女性が、「あんたねぇ、高望みしている場合じゃないよ。日本はいま男ひでりなんだから・・・」と言われているのを耳にしたことがある。その女性はまもなく結婚したように記憶する。
 
 キュウセンベラという魚は、さらに手の込んだ戦略も取るという。
 実体はオスなのだが外見はメスと同じ個体がいて、産卵準備の整ったメスがいると近づいて精子を放つ。
 つまりオス同士の闘いはしないで自分の遺伝子を残せるように、生まれてからズーッと女装しているのだという。
 なんとまあご苦労なことか。
 
 だがわしはすぐ、人間にも女装が趣味の男がいることを思い出した。
 だが彼らが、キュウセンベラみたいに何か密かな戦略を隠しもっているのかどうかは知らない。
 そもそも男が巧みに女装して女に近づけば、女性がその男に心を許し、その結果として交尾・・・失礼、愛の一線を超えることまで許すのか・・・どうかまではわしは浅学にして知らない。
 
 そもそもキュウセンベラに限らず、生きものが自然界で生き抜くのは楽ではない。
 万物の霊長といわれる自分たちのことを考えれば歴然だ。
 ニセの外見を装う擬態どころか、あくどい騙しのテクニックまで使う生きものは、自然界には珍しいことではない。

 まあそういう話は前から知っていたが、キュウセンベラのような平凡な雑魚までがこうした工夫をしながらケナゲに生きているということを知って、わしは、ま、ちょっと感動したわけである。
 
 人間、年をとると感動しやすくなるんだよねぇ。

 ただ、人間界の擬態や騙しのテクニックは、ヤワになった老人でさえ騙せない。
 政官界に多いが、いくら清廉潔白を装っても、ケナゲとは正反対の下心が透けて見えからねぇ、この連中には・・・。

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