認知症のカミさんがひとりで旧友に会った(続き)

海辺のレストラン

 さいきん記憶力がソートー慎ましくなったカミさんが、しばらく会わなかった旧友と会い、当町の海辺のレストランへ案内することになった。前回にその経緯を書いて、今回はその続きデス。(前回はこちらから)
 
 その旧友のKさんには、わしのスマホの番号を知らせておいたので、待ち合わせ時間から少し経って、無事カミさんと出会えた旨の電話が入った。

 まずは第一段階をクリアしてホッとした。
 カミさんがハナからアサッテの方へ行ってしまう可能性も、なきにしもあらずだったからだ。
 わしは念のため、これから向かう先のレストランの電話番号もKさんに伝えた。カミさんの手帳にもメモさせてあったが、メモしたこと自体を忘れてしまう可能性があったから。
 
 それから数時間、カミさんからもKさんからも連絡はなかった。
 とくべつなトラブルは起きなかったのだろう。
 胸の隅に不安はあったが、まだ頭もしっかりしているKさんがそばにいるのだから・・・と深くは考えないようにした。

 第一、わしが家に居てアレコレ心配しても、何の意味もなかった。
「意味のないことはハナからしない」タチです、あっしは・・・。
 ・・・というと格好いいが、実をいうと若いころはかなりの心配性だった。
 が、人間を長くやって、心配性であることのアホらしさに気がついた。頭の理屈ではなく体の感覚として。
 まあ老人になることの、数少ないプラス面のひとつだワネ。
 
 後日、Kさんからの電話で事情を聞くと、じつは、カミさんはやはり行くとき道を間違えたらしい。訳の分からない所へ入り込んでしまって、そこから抜け出るのにソートー時間がかかったらしい。
 
 カミさんは帰宅後、その話はしなかった。
 問題なくスムーズにに案内できたとも言わなかったが、途中どっかに迷い込んんだとも言わなかった。
 昨今の政治家なら、黙っていることによって嘘をついている、とタタカレそうだが、ま、人間なら誰だって自分のヘマを黙しているくらいやるだろう。むしろカミさんの場合、まだそういう人間くさい算段ができた・・・ということを喜ぶべきかもしれない。
 
 天気が良かったので、屋内ではなくテラス席で食事をしたそう。
 文字通り足下から波音が聞こえてきて、強い風もなく、すこぶるステキな時間が過せたという。

 カミさんの頭の中からは、Kさんとのかつての交遊の記憶はすべて消えていたはずだけれど、女の話にそんなことは何の支障にもならなかったようだ。4時間近くも話し込んだというから驚く。男にはマネのできない芸当だネ。
 
 いろいろな話をしたそうだが、特に印象が深かったのは(けっこう細かいとこまで憶えていた)、Kさんに30年近くも秘密の男性がいた・・・という話だったらしい。
 
 Kさんには会社を経営する夫がいて、寛大で、なんでも自由にさせてくれるので夫婦仲もうまくいっているという話だった。

 だが40代の終りごろにある男性と知り合って、とても価値観・感性が近いことが分かって、特別の関係になったという。
 その関係が、70代の半ばに相手が亡くなるまで続いたという。ふたりの関係には、公けにはできないちょっと感動的なエピソードがあって、Kさんは涙ながらに熱く語ったらしい。
 
 なぜそういう話を今になってカミさんにしたのか、理由は分からないというが、わしには何となく分かるような気がする。
 この話を他人にするのは初めてだと言ったというが、ほかの人にも話していそうな気がする。これまで密かに自分だけの胸のなかにひそめてきただけにいっそう・・・。
 
 またひょとすると、夫が寛大だったのは夫自身が多情で、妻以外にたくさん女性がいたからかもしれない。
 ・・・などと勝手な想像もふくらむ。
 
 ま、ともあれ人間もいろいろで、人生も多様であるということだ。
 ウクライナやガザに生まれた人々も含めて・・・。
 
 わがつれあいが認知症になって日々進行していることも、そういう多様な人間の一人だと思うと、なんとなく気持ちが軽くなる気がするのはなぜだろう。
 

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認知症のカミさんがひとりで旧友に会った(続き)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 色呆け爺 より:

    パーキンソン病の妻が昨年12月中旬転倒骨折し入院しています。老いて骨の回復が遅い為1か月以上になるのに退院出来ません。退院後もリハビリに通わねばならず、これから先が思いやられます。
    コロナやインフルエンザの為面会は一週間に一度と制限されており、妻はパーキンソン病の薬の副作用で幻視や幻聴が現れますので、私が側にいないと不安がつのり、寂しがるのですが如何とも出来ません。
    現在介護保険の支援2ですが、退院後は恐らく介護1~介護2位にはなるのでしょう。風呂やトイレを障碍者が使える様改装し、車も乗り降りし易い様助手席回転シートになっている車に買い替えました。何かと物入りですが止むを得ません。
    半ボケじじい様の奥様の話、なるほどと思いました。私も「人間もいろいろで、人生も多様で」と思い気持ちを軽くする事にしました。

    ま、ともあれ人間もいろいろで、人生も多様であるということだ。
    ウクライナやガザに生まれた人々も含めて・・・。
    わがつれあいが認知症になって日々進行していることも、そういう多様な人間の一人だと思うと、なんとなく気持ちが軽くなる気がするのはなぜだろう。
     

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