愛されなかったある犬の一生

子犬

 つい先ごろまで、毎日のジョギングの道筋に、気になる家があった。
 築50年くらいの古い家だが、気になったのはじつは家そのものではない。その家に飼われていた犬である。その犬は、わしがその家の前を通ると、必ず門扉のすぐそばまできて、さかんに尻尾を振ったのだ。

 最初に見たときは、まだコロコロと丸い感じの茶色い子犬だった。たまたま錆びた門扉の鉄格子の間から、小首をかしげてこっちを見ていたので、思わず足を止めて門扉に近づき、しゃがんで話しかけたら、とても嬉しそうに尻尾を振った。

 するとその翌日から、その家の前を走るとき、匂いでわかるのか、足音で判別するのか、早々と門扉のそばにきて尻尾を振るようになった。まるでわしを待っていたように。
 そうなればこっちも無視できない。毎回ちょっとだけ足を止めて声をかけてやるようになった。たまに鉄の格子のあいだから手を差し入れて、頭をなでてやることもあった。するとその手をペロペロと舐めてくれる。

 だが毎日となると、正直ちょっと面倒くさいと思うときもあった。そういう日は足は止めないでただ声をかけたり手を振るだけにした。すると犬はいかにも寂しそうな様子をする。わしもなんとなく申し訳ないような、不義理をしたようなジクジとしたものが後を引く。
 また風邪をひいたり用事があったりしてジョギングに出られない日は、今か今かと待っているいる様子が頭に浮かんだ。

 日が経つにつれて、犬はどんどん大きくなった。犬を飼ったことがなく、犬の知識はほとんどないのだが、でもその犬がゴールデン・レトリーバーと呼ばれる大型犬であることは分かった。大きくなるにつれて毛並みもふさふさと立派になり、動作も大型犬らしく堂々として頼もしい感じになった。しかしいつ見ても、人恋しげな寂しそうな様子は変わらなかった。
 
 昨今は大型犬でも室内で飼うことが多いようだが、この犬は外飼い・・・昔ふうに玄関先の犬小屋で飼われていた。
 また犬の飼い主というか、その家の住人の姿を、庭や周辺で見かけることがほとんどなかった。10数年あまりの間にほんの数度目にしただけだ。70~80代くらいの老夫婦が住んでいるらしかったが、家はいつもしんとしていた。夫婦のどちらかが病気で、パートナーが介護に追われるいわゆる老々介護かも・・・などと勝手に想像したこともある。

 また、老夫婦がこんな大きな犬を散歩に連れ出すのは大仕事だ。ひょっとすると、1日1度の散歩もさせてもらっていないのでは・・・と思ったりもした。
 そもそも自分たちの年齢を考えれば、こうした大型犬を飼うこと自体軽率なのでは・・・などと、事情もよく知らないくせに、つい非難がましい目を飼い主に向けたこともあった。

 そんなふうにして月日は過ぎた。
 門扉ごしの交流はそれ以上に発展することはなく、かといって途絶えることもなく続いた。
 ジョギングの途中でちょっと足を止めて門扉に近づくのは、朝起きたら顔を洗うのと同じルーティーンになった。

 数年前のある日、ふと思った。コロ(最初コロコロした子犬だったので、わしは安直に「コロ」と勝手に呼んでいた)があまり元気でないことに気づいた。思えばここ数年、以前のような元気さがなくなったような気がした。かつてはわしが門扉に近づくと、飛びはねるようにして迎えてくれたものだったのに。

 しかし指を折って計算してみると、いつのまにかコロの年齢は10歳を越えていた。彼(オスだった)はもう老年の域に入ろうとしていたのだった。毎日見ていたので変化に気づかなかっただけだ。

 それからの衰えは速かった。この犬種ではそれがふつうなのか、あるいは飼い主にあまりかまってもらえず、そのうえ運動する機会も少なかったせいなのか、日を追うようにして老犬になっていった。毛並みはつやを失ってガサガサした感じになり、腰が落ちて背中が丸くなり、動作も鈍くなった。最後は痩せて身体が骨張り、尻尾を振るのもしんどそうだった。
「もういいよ、尻尾振らなくても・・・」と何度言ってやったことだろう。

 そしてある日、その家の門扉にわしが近づいても、コロは出てこなかった。
 家にもまったく人の気配がなかった。

 それからさらに1ヵ月ほどしたころ、門扉や垣根に、太いテープが張りめぐらされた。そのテープには、
「危険ですから中に入らないで下さい」とあった。

 現地はいま更地になっている。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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