もうひとつの老々介護
前回、ムチを手にして老母の散歩につきそう70男のことを書いたが、今回はべつの話。(前回はこちらから)
少し前になる。風もなくポカポカと暖かい日の午後だった。
いつも歩く川ぞい遊歩道で、老々介護のふたり連れに出会った。
かなり高齢とはっきり分かるおばあさんが、向こうから乳母車を押しながらゆっくりと歩いてくるのが目に入った。
昨今の若い母親が使うのは乳母車とは言わずベビーカーと呼んで、折りたたみ式のシャレたものが多いが、トイメンから近づいてくるおばあさんが両手で押しているのは、昔ふうのまさに “乳母車” と呼ぶにふさわしいものだった。
遠目にも、見るからに古びてガタがきているのが分かった。だがそこにはちゃんと人が乗っていた。
最初は、歩けなくなった亭主が乗ってるのかと思った。へえー、めずらしい光景だわィと、わしは少なからぬ興味もった。
しかし、すぐ、違うなと思いなおした。いくら年をとって縮んだといっても、亭主にしては乗っている人物が小さすぎる
孫? それともひ孫?
にしても、よくもこんなヨボヨボばあさんとガタガタ乳母車に、大切な子どもを預ける気になったな・・・などとよけいなおせっかいを焼いているうちに、乳母車は近づいてきた。
実をいうとわしの目は年相応に・・・目のまえの乳母車と同じくらいガタがきている。体調が悪いとピントの結びが悪くなる。
だから4,5メートルくらいまで近づいてきて初めて、乳母車に乗っているのが亭主でも孫でもないことがわかった。犬だった。そしてその犬がまた、後ろで押しているおばあさんに負けないくらいの老犬だった。
事故かなにかで脚を悪くした犬が、脚がわりの台車を装着して、飼い主といっしょに散歩している光景を見ることが時々ある。飼い主の犬への愛情と犬の健気さに、いつ見てもちょっとした感動を覚える。
だが、足腰の立たなくなった老犬を乳母車に乗せていっしょに散歩しているのを見るのは初めてだった。それですれ違うときに思わず声をかけた。「いいですね、いっしょに散歩ができて・・・」
するとおばあさんはすぐ足を止めた。ちょっと一休みしたかったの・・・といった感じで、乳母車の押し手(グリップ棒)の上に上半身をあずけたまま、顔だけあおむけてわしを見た。
年で縮んだのか、身長は1メートル40センチあるかないかだった。
顔もシワだらけで、シワの総延長は身長を往復してもまだ余りが出そうだった。
おばあさんはそのシワといっしょに口を動かした。
「わたしだけ散歩に出るのは、リルに悪いような気がしてね」
「リルっていうんですか、このワンちゃん」
「そう。むかし好きだった歌から取ったのよ」
「リルも楽しそうですよ、いっしょに散歩ができて・・・」
「だんだん体が弱ってきて、何かにつかまらなきゃ歩けなくなっちゃったの」
犬の話ではなく、自分のことらしかった。
「それでね、物置きに仕舞いこんであったこの乳母車をひっぱり出してきたの。できるだけ歩きたいからね」
「・・・えらいですね」
「じっとしていると、すぐダメになるでしょ」
「それはまあ・・・そうですね」
「このあいだ定年になった息子が赤ん坊のときに使ってた乳母車が、60年も経ってまた役に立つなんて思わなかったわ。わたしたちの世代って、ものを捨てられないでしょ。捨てなくてよかった」
足は何かにつかまらなくちゃ歩けなくても、口のほうは誰につかまらなくてもひとり歩きOKのようだった。
こうして乳母車につかまって身体をやすめながら、彼女がルル話してくれたところによると、リルは人間にすると100歳を超えていて、以前から足腰が弱って歩けなくなっていたそうだ。
「若いときは、あっちやこっちにすごい力で引っぱられてタイヘンだったのよ。・・・こんなになっちゃうなんてねえ」
散歩が大好きな犬だったのに、いつの頃か散歩に出たがらなくなった。ムリに連れだしてもすごくしんどそうだった。
でもおばあさんはひとりで散歩をつづけたという。
「リルみたいになりたくなかったから・・・」
でもそのうち、杖だけで歩くのは心もとなくなった。3本足ではやはり不安。もう1本足がほしい。転んで寝たきりにでもなったら元も子もないから。
そんなとき、物置きの奥でほこりをかぶっている乳母車を思い出したのだという。これにつかまり歩きすれば、まだしばらくは歩けそうな気がした。
息子に頼んで、壊れたところは修理し、簡単なブレーキもつけてもらった。実際に試してみると、想像以上に快適だった。杖で歩くよりずっと長い距離を歩けたのがうれしかった。
そのうち、乳母車にリルを乗せてまたいっしょに散歩したらどうだろう、ということを思いついた。むかし赤ん坊を乗せていた乳母車に、老いた犬をのせるのが何とはなく楽しい気がした。
きっかけは息子が定年になって、家にずっと居るようになったからだ。
最近はやせて体重がへったといっても、中型犬のリルを乳母車に乗せたり下ろしたりするのはちょっとムリだが、息子が家にいるなら問題はない。
当のリルが嫌がるのではないかとという心配はあったが、じっさいに試してみると、リルは嫌がるどころかうれしそうだった。かつてよく一緒に歩いた場所へ連れていくと、目はあまり見えないらしいが、匂いで分かるのか、懐かしがっているように見えた。
「わたしが勝手にそう思うだけで、実際はどうか分からないけど・・・。でも少なくとも嫌がっているようには見えないでしょ」
わしは乳母車のなかで、横ずわりした女のひとみたいに坐っている老犬を眺めた。見たところいろんな犬種がまじっていそうな中型犬で、毛は白いものがかなり混ざり、目はうすく白濁してているようだった。でも不安そうなようすはまるでなく、むしろ幸せそうな表情をしているように、わしの目にも見えた。
「うれしそうな顔していますよ、リル。・・・おばあさんといっしょに散歩ができて、やっぱり幸せなんじゃないですか」
お世辞ではなく、素直な気持ちでわしはそう言った。
おばあさんはシワくちゃの顔をいっそうシワくちゃにして、リル以上にうれしそうだった。
こうして10分ほど話をして、おばあさんと別れた。
わしは、なにかほっこりしたものをもらったような気がして、こういう “老々介護”はいいなァと思いながら、そのあとも気持ちのいい午後の散歩を楽しんだ。
2017年は心が温まるお話で終了ですね♪
沢山の失礼、失言、ご無礼をお許しください。
けれど、私は半ボケじじい様のこのブログが大好きです♪
来年も、またお邪魔します。
ずっとずっとお元気で、私を楽しませてください♪
来年もどうぞよろしくお願いします♪
あけましておめでとうございます。
むらさきさまを始め皆さまがお寄せくださるお言葉に
励まされております。
きょうは投稿休みたいな、と思う時も、こうしたコメントを
いただくと、いやいやそんなことは言っておれんぞ、と
ギシギシいう腰をよっこらしょとあげて、
パソコンに向かうことができます。
当じじィ自身言いたい放題の看板を掲げております。
「失礼、失言、ご無礼」などお気になさらないで、
思うままおことばを寄せていただくとうれしいです。
本年もよろしくお願いいたします。
平年30年 元旦
半ボケじじィ