灯りのない家
ジョギングの途中に、最近、ちょっと気になる家がある。
とくべつ変わったところのないふつうの家だ。
道路との境に低い生垣があって、そのすぐ後ろに家が迫っている。表の道から家の中が見える。だからだろう、窓には常にカーテンが引いてある。
たしかに外が明るいうちは家の中は見えない。だが、外が暗くなって部屋のなかに灯りがともると、それほど厚くないカーテンを通して内部がすけて見える。
わしがこの家の前を通るのは、だいたいは夕暮れ時が多い。ふつうなら夕食をとる時間である。
じっさい以前は、居間兼食堂のような部屋に明かりが入り、ある角度からは光を放つテレビも見えていた。住人の姿は死角になっていて見えなかったけれど、老夫婦で食事でもしているような感じだった。
ところが最近、わしがその前を走るとき、室内が暗いままなのだ。灯りがついていない。
といって、誰も居なくなったようではない。門柱の上につ取り付けてあるセンサーライトは、その前を通るたびに律儀に点いたり消えたりするし、カーポートにはプリウスが駐車されたままだ。ごくたまだが部屋は暗いまま、テレビの画面だけがチラチラ光を放っていたときもある。
家というのは不思議なもので、人が住まなくなるとすぐ分かる。
わしには縁もゆかりもない家で、ジョギング途中にただその家の前を走るだけなのだが、妙に気になってしまう。
なぜ居間の灯りは消されたままなのだろう?
老夫婦のうちどちらかが重い病気にでもなったのか。
それで居間ではなく、寝室がおもな生活の場になったのだろうか。
この家は2階家で、道路側だけでも窓は5,6個あるのだが、そのどの窓も暗いままなのはなぜなのだろう。寝室は道路側の裏側にあるのだろうか。
それとも夫婦のどちらかが、どっかの病院にでも入っているのだろうか。
先に述べたように、わしがその家を見るのは、夕暮れどきのほんの数秒にすぎない。それ以外の時間には、それなりに生活の息づかいを見せているのかもしれない。
一日のうちほんの数秒だけの付き合いにすぎないわしが、あれこれ想像して心配することはない、と思うのがふつうだろう、余計なお世話だと。
その通りである。
それはもちろんよく分かっているのだが、毎日その家の前を通るとき、灯りが点いていないと、やっぱり気になってしまう。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。