老人よ、大死をめざせ

 「少年よ、大志を抱け!」と大人は子供に言う。

 “棺おけに片足突っこみ状態”のわしにも、「少年時代」はあって、そのころ大人からよく言われたもんだ。
 「夢を持ちなさい。夢もないまま大人になったらロクな者にならんぞ」って。

 で、汚れを知らないころの素直なわしは、「夢」を持った。
 「プロフィール」でも触れとるが、わしは根っからの理系人間で、小・中学校時代は算数そろばんが大得意だった。そのうえ機械いじりも大好きで、分解して壊したオンナ・・・じゃなかったオモチャは数しれず。そいでもって大人が「夢を持て! 夢を持て!」っていうから、
 「ヒコーキの設計」がわしの夢になった。

 ところが高校に入ったら、たまたまウン悪く数学教師とウマが合わなかった。ケンカして、数学の時間に、これ見よがしに英語の教科書を出して読んだりしてたら、成績がガタ落ちした(当然だわな)。数学だけならまだしも、その親戚筋の物理や化学もいい顔しなくなった。わしは平気な顔してたけど、内心はトホホだったよ。

 それだけじゃない。3年の学年末になって、くだんの数学教師が単位を出さんと言い出した。
 このときは、さすがにわしもあわてたな。数学の単位が取れきゃ、高校を卒業できない。大学への進学もアウトだ。(当時のわしは「大検制度」というのを知らなかった)。

 いま思い出しても、恥ずかしくてカッコ悪くて体じゅうが熱くなるけど、そのときわしは、職員室で他の教師が見ている前で土下座に近いことして謝ったり、帰宅途中の教師を待ち伏せて泣訴したり、親と一緒に数学教師の自宅に手土産もって謝りに行ったり、まあブザマのかぎりをやりまくったんだ。するとヤツ(数学教師のことだな)も最後には単位を出してくれたんだが、理系の大学へ進むのはもはや無理だった。

 で、やむを得ず、入試科目に理系のない文系大学に進んだのだが、早くもここで子供時代の熱い夢はパチンとはじけて消えたね。

 自業自得と言われりゃまさにその通りだ。だが、人生ジゴージトクだけじゃ片付かんもんもいっぱいある。この歳まで生きとると、イヤというほどをそれを思い知らされる。このヤロー、そんなのスジが通らんじゃねぇか、ってのばっかりだ、この世は。

 そんなことくらい、とっくの昔から分かっているはずの大人がだよ、何も知らん子供にだ、「少年よ、大志を抱け!」なんてイージーに言うなよ、ってわしは言いたい。
 言われてケナゲに抱いた大志(夢)を、スジの通らんこの世の不ジョーリ棒で叩き落とされて傷つく子供もけっこう沢山いるってことを、ちっとは考えろって訴えたい。言うならせめて、理不尽に満ちたこの世の実情に少しは配慮をしたもの言いをしてくれってな。

 だいたいお前ら大人は、いつも言いっぱなしじゃないか。どっかの首相とおんなじで責任とらんだろ。(もっともわしの場合は、わしのほうにもだいぶ責任があるけど)

 おっと、マダラボケが出たな。考えて見りゃあわしは老人だった。いまさら「少年」の話をして頭からケムリを上げても始まらん。それにどうせ「負け犬の遠吠えだ」って言われるのがオチだ。

 ここらでハラをくくって老人にふさわしいことを言いたい。
 「老人よ、大死をめざせ!」
 イージーに言ってるのではないぞ。どうせ先は短いのだ。正真正銘、年寄りにはこれがぴったりだ。

ところで、「大死」(「犬死」と間違えるなよ)って何だ?

そんなもん自分で字引でも引いて調べろ。どうせヒマ持てあましてんだろ。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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