五月になると・・・
昨日から五月である。
五月は日本でいちばん美しい季節と言われる。
この説に日本人で反対する人、いないんじゃないかな。へそ曲がりは別にして・・・。
わしのへそは少々・・・いやだいぶ曲がってるけど、五月の美しさに異論は挿まないよ。とりわけ、四月後半から五月にかけての新緑の美しさは、アラ探しが得意なわしにも文句のつけようがない。
つばくらめ飛ぶかと見れば消え去りて空あをあをとはるかなるかな(窪田空穂)
五月になるとわしはこの歌を思い出す。
爽やかな風と、どこまでも澄んだ青空。
その青の中を、ツバメが黒い小さな稲妻のように飛び交う。
子供のころ何十回何百回となく見た光景だ。
先の窪田空穂の歌のほかに、五月になると思い出すもうひとつの作品がある。
絵本である。
小学校1,2年生くらいの男の子が、五月晴れの気持ちの良い日曜の朝に、おばあちゃんといっしょにどこかへ出かける。
当時のわしと同じ年齢くらいの男の子は、白い襟のついたよそ行きの服を着ている。おばあちゃんも普段は着ないような着物を着て、黒っぽい羽織をかさねている。その胸の前には、片腕に抱えられたふろしき包。
男の子は、おばあちゃんの空いているほうの手に自分の小さな手をつないでいる。うれしそうな顔をしておばあちゃんを見上げているその背景には、真っ青な初夏の空が広がっている。
その空のなかにツバメが数羽飛んでいる。いかにも気持ち良さそうに・・・。
そしてその絵本を手にしている当時のわし自身は、ボロボロの服を着ていつもハラを空かせていた。
だからであろう、何もすることがないと、何とはなくその絵本を開いて飽きもせずに眺めた。
この絵本は、9歳年上の長兄が買ってもらったものだった。日本がまだ戦争を始める前の、平和で豊かだった頃に描かれたものだ。
清潔そうな上等の服、血色のよさそうな子供の顔、おばあちゃんが胸に抱えているふろしき包は、手みやげの羊羹かカステラか柏餅でも入っているのかもしれない。そんな絵柄が、貧しく空きっ腹を抱えていた当時のわしのこころをとらえたのだろう。
本の題名も作者名も憶えていない。前後の場面も記憶から抜け落ちている。だが上に述べたシーンだけはなぜかはっきりと記憶に残っていて、五月になると思い出す。