前世はあるか?

前世

 人間には、いわゆる「前世」があるのかないのか。

 あるという人もおれば、ないという人もいる。
 だがそもそもこの問題に関しては、明言もしくは断言できる人はどこにもいないはずだ。
 なぜなら、”いわゆる科学的な証明” ができないからである。

 しかし、科学的な証明はできなくても、「前世はある」とほとんど断言に近い言い方をしている人は、世界にはけっこう沢山いるようだ。

 有名なのはアメリカの精神科医、ブライアン・L・ワイス博士だろう。
 博士は精神科医として治療のため「催眠療法」を行なって、患者の意識を過去へ退行させているときに、信じがたい不思議な体験をした。
 ある患者が、この世に生まれてきた時よりさらに以前のことを語りはじめたからである。この体験からワイス博士はじめて「前世(過去世)」に目が向いたという。

 興味をもった博士は、さまざまな患者に前世への催眠退行をこころみて観察した。
 その結果をふまえて博士は、
「人間には前世があり、前世において体験したことが、その人の現世の精神状態に影響を及ぼしている」ことを、多くの患者の例を挙げて世に紹介したのである。
 現世でさまざまな精神的トラブルをかかえていた患者が、催眠状態で過去世にもどって当時の記憶を思い出すことで、症状が改善もしくは治癒する例が多く見られたことを報告したのである。

 予測されたことだが、彼は批判の集中砲火を浴びた。いやしくも医学を学んだ者が口にすべきことではない荒唐無稽なオカルト話だ、あるいは毛色の変わったファンタジーだと。

 ワイス博士はそれらの批判にこう答えている。
「科学で仕込まれた私の理性は拒否していた。でも、現実に目の前でそれは起こっているのだ。私には説明できないけれど、現実を否定することもできなかった」(ブライアン・L・ワイス著『前世療法』)
 さらにこうも。
「学歴の高い専門家達が、なぜこうしたことを外に洩らさないのか、私にはよくわかっていた。私もその一人だったからだ。しかし、私達は自分の体験や直感を否定することはできない。」(同書)。

 ブライアン・L・ワイス博士の研究は、多くの批判者を生んだと同時に、博士のあとに続く研究者をも先導した。ジョエル・ホイットンやキャロル・ボーマンといった精神医学者、超心理学者、セラピストたちである。
 彼らは、催眠退行によって過去世を語るひとびとを新たに多く紹介し、彼らが前世に退行中に語ったふつうでは知りえない事柄が、調べてみると歴史的事実と一致している例を示した。
 また前世に退行中に、過去世で話していた異言語(古代スカンジナビア語や紀元前メソポタミアの言語など)を被験者がしゃべりだし、それを証拠として録音した例もある。

 だがこれらの状況証拠も、周到に準備すれば作為することも不可能ではないと主張する人たちもいて、一般の認める “科学的証拠” とはなっていない。

 また仏教やヒンドゥー教といった大宗教も輪廻転生を認めているが、仏教徒であるはずのわしら日本人の多くは、何度も死んで生まれ変わるとは信じていない。

 ここで話は急転直下して下世話ばなしになる。

 テレビ東京に「世界!ニッポン行きたい応援団」という番組がある。日本が大好きで、日本へ行きたくて行きたくてたまらないのに、経済的理由その他で行けないでいる外国人を、番組が日本へ招待して、彼らが行きたいところへ行くのを援助する番組である。

 これまでさまざまな日本大好き外国人が登場した。

 日本の古式弓道にはまったポーランドの若い女性、墨絵に魅せられ夢中になったイタリア女子大学生、日本のタイ焼きが好きすぎてロシアでタイ焼き店を営むロシア人美女、納豆が好きで好きで毎食たべるのみならず、日本から納豆菌を取りよせて自ら作るアメリカ人男性・・・などは、まあ分からないではない。ふつうの人とはちょっと違ったことに興味をもつ変わり者は、どの国にもいるからである。

 しかし、スペイン・マドリードで産婦人科医をしている中年女性のように、たまたま料理教室で出会った「ところてん」に雷に打たれたようにしびれ、日本から寒天を取りよせて毎日のように食べるだけでは満足せず、寒天の原料であるテングサの栽培方法を日本に学び、本物のところてんをみずから作って食べたいと切望する人がいるのを知ると、この人いったいどうなっているの、と首をかしげたくなる。

 さらに、アルゼンチンの女性が、日本の消防に異常な興味をもって消防署の消火訓練に参加するのはともかく、まかり間違えば命にかかわるというのに、出初式で行われる梯子乗り(高い梯子の上で逆立ちしたり片足立ちしたりする)を、母国でふだん練習しているからとやりたいと熱望し、少々ぎこちなくても見事にやってのけるのを見ると、首をかしげるだけではすまなくなる。

 同様に、まだ若い(日本でいえば高校生くらい)のフランスの少女が、かるた競技(百人一首の札取り競争)に熱をあげ、競技技術の錬磨はもちろん、日本語の古語や和歌の勉強に夜も日も明けないというケースもあった。

 わしら日本人でさえ、かるた遊びの習慣が日常から消えた今では、百人一首の全札を理解し記憶することはむずかしい。だいたい日本人の大半は興味も関心もない。それなのに、文化も歴史もまるで違い、地理的にも遠く離れたフランスに生まれ育った少女が夢中になるというのは、わしの理解を超える。どうしてそんな人間がこの世に存在するのか、不思議を通りこして奇々怪々とさえ言いたくなる。

 この疑問にかろうじて答えうる解答がただ一つだけある。
 「前世」だ。
 前世の存在である。

 アルゼンチン女性の前世は、江戸の火消しだった。
 フランス少女の前世は、夜に日を継いでかるた遊びに夢中だった公家の道楽息子か娘だった。

 そう考えると、今生ではいかなる関わりも繋がりもない異国のしかも特殊な事柄に、これほど魂を奪われることもありうる、と納得できるのではないか。少なくとも “奇々怪々” ではなくなる。
 ワイス博士の前世療法で、無意識のなかの過去世に退行してその頃の経験を語る人がいる事実と照らし合わせれば、あながち荒唐無稽な考えとは言えないように思う。

 こういうことを言うのも、実はわしにも、上記の連中ほど強烈でも熱烈でもないが、ちょっとそれに似た覚えがあるからだ。
 いつの頃からかわしは、映画や絵画や写真などでたまたまヨーロッパの自然や街並みに触れると、なぜかわからないが、何とはなく懐かしさや親しみを覚えることに気づいた。

 わしは、日本の山間の田舎に生まれて、ヨーロッパとは縁もゆかりも手がかりもない環境に育った。子供のころに、何かで魂がふるえるようなヨーロッパとの出会い体験があったわけでもない。海のナマコと森のフクロウのように接点がない。

 今生では100%無縁にもかかわらず、先に述べたようにヨーロッパに関する何かに触れると、理由もなく親しみや懐かしさを感じるし、訳もなく安らぎを覚える。

 なぜなのか、長いあいだ不思議だった。

 でも、「日本大好き外国人」を紹介するテレビ番組を見たいまは、わしは前世でヨーロッパのどこかに住んでいたのに違いない思うようになった。
 少なくともそう思うと気持ちの帳尻が合う。

 以上、あんたのボケ、また少し進んだんじゃないの? と言われるのを覚悟で書いた。

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