それ不可能! と笑ったが・・・(下)

倒れた物置き

(前回の記事を読んでないと、何もしてないのに留置場にぶち込まれたみたいにナンノコッチャ分からんから、まず前回の記事をチョコッと読んでおいてチョーダイね。→ こちらから

「悪いね。わざわざ来てもらって」
 Sはわしの顔をみるなり、満面ニコニコしながら言った。
 簡単な日常会話をしているぶんには、頭の建て付けが悪いようには見えない。ただ、建てたばかりの小屋が倒壊するという不運に遭遇したにしては、そのニコニコ顔はちょっと不自然だった。
 が、ま、呼び出しに応じて足を運んだわしへの気づかいだろうと解釈した。

 わしはまず気になっていることを訊いた。
「小屋が倒れたって話だけど、このうち、庭に小屋なんかあった?」
 Sはわしが言ったことの意味がよく分からなかったらしく、あいまいな顔になって言った。
「夜中に風が吹いたとき、大きな音がしたの。一度は目が覚めたんだけど、そのまままた寝てしまって、朝起きて勝手口をあけたら、倒れてたの」

 わしは、勝手知ったる裏庭にまわった。
 しかし裏庭に倒れた小屋などなかった。というより小屋らしき建物自体がなかった。
 Sの認知症は一歩すすんで、ついに幻想を見るようになったかと思った。
 そのときSの声がわしを呼んだ。
「こっちこっち」
 声のする方へ行ってみると、そこは勝手口のすぐ近くで、Sがやはりニコニコ顔で立っていて、右手で地面を指している。

 指の先には、薄い灰色のスチール製物置きが倒れていた。
 奥行き7,80センチ、間口1メートル50センチくらい、高さ1メートル80センチほどの収納庫。
 どこの家でもたいてい庭のどこかに置いてあるやつだ。使わなくなった石油ストーブや、扇風機や電子レンジといった古い家電製品とか、いつかチリ紙交換に売るつもりの古本や古雑誌の山、泥まみれの散水機やゴムホース、家庭菜園用の農具・肥料・農薬などが入れてあるスチール製の物置き。
「倒れた小屋って、このこと?」
 Sは当然という顔をしてうなずいた。
 ふつうこれを “小屋” というか? と言いたかったが、いまさら言っても仕方がないので、ニガ笑いだけして口は開けなかった。

「門から入ってきた人が、勝手口にくる道をふさいでいるので・・・」
 要するに倒れたこのスチール製収納庫を、引き起こすのを手伝ってくれということらしかった。

 ”小屋” よりだいぶ小型だが、それにしてもこれを引き起こすとなると、やはりわしの力ではどうにもならないことに変わりはなかった。
 そう説明して、息子に頼んだらどうだと言ってみた。すると、息子はふだんから父親のことをまるで相手にしないという。なにを頼んでも無視・・・がふつうなのだそうだ。そんな息子には頼みたくないという。

 やれやれ、主人の頭の建て付けだけではなく、この家は家族の建て付けも壊れているらしい。Sはかなりの金を持っているという評判の男なのだが、女房に早く先立たれ、ひとり息子がこれじゃあんまり幸せとはいえないなァ・・・などとよけいなことまで考えてしまった。

「この中には何が入っているの?」
 物置きは倒れた衝撃でか戸が開かないので訊いてみると、分からないという。考えてみれば訊くほうがバカだった。彼の最大の問題は、記憶をつかさどるパーツが倒壊していることなのだ。

 試しに物置きの一部に手をかけて引っぱり上げてみた。すると意外にも10センチほど上がった。わしの力でもこれくらい上がるということは、中にあまり重いモノは入っていないのかもしれない。

 そう思ったとき、ヘンな気が起きた。なんとかこのスチール物置きを起こせないだろうか・・・とふと思ったのである。ちょいと挑戦してみたらどうか。どうせダメでモトモトなのだし・・・と。

 そんなことをわしに思わせたのは、じつはSの息子に対する抵抗心というか、ヘンな意地みたいなものだった。Sの息子とは話したこともないのに・・・。人間の心理ってのはおかしななものだ。

 わしは改めてSを見た。彼のガタイはわしよりかなり上等だ。そもそもわしよりひと回り大きいし、金があるので普段からいいものを食っているのかもしれない、肉もわしよりはるかに立派なのが付いている。

 彼をわしのとなりに並ばせて、力を合わせてで引き上げた。
 これまた思いがけないことだったが、膝あたりまで上がったのである。そこからもう一度力を合わせてセ~ノをやると、腰あたりまで上がった。

 だがそれ以上は上がらない。というのは指をかけて引き上げる体勢では、そこが限界なのだ。そこから先は手を持ち変えて、手のひらで押し上げるようにしなければならない。

 そうSに伝え、またセ~ノをいって手を持ち変えた。そしてあとは、163歳目いっぱいの力を振りしぼって押し上げた。

 驚いたことに見事に立ち上がったのである。

 思いもしなかった達成感があった。
 ふだんSとの交流は、ヘソを曲げたパソコンを介してのものが主で、意思疎通がうまくいかず、ギクシャクすることが多かった。すっきりとした気分で終わることはまずなかった。

 ところがこの時は、完璧とは言わないが、とにかく初期の目的を達した。同じ方向へ文字通りふたり力を合わせて、ひとつの仕事をなしとげたのだ。
 予想もしなかった爽やかな達成感がわしの体を満たした。

 台風一過の澄んだ青空へ、すっくと立ちあがった物置きは、何百年もかけて建てたヨーロッパの大伽藍に劣らない偉容に見えた。

 ・・・なんちゃって、言いたいように言っとけばいいよ。

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