ボケじじィの“にらみ”(上)
前回(8月4日)、「ボケた目」の話を書いたから、目についてもう1つ。こっちはボケが理由ではないんだがね。
若いときからわしの目は分業をしていた。
右目は遠くを見るときに使い、左目は新聞や本を読むときに使う。
要するに右は遠目で左は近目。
その近代的分業体制が早くから確立してしまったために、右と左が分離して行動するようになった。早く言やあ、同じ方向を見ることが不器用になった。
ちゃんと意識して見るぶんには普通なんだが、ちょっと気を抜いてぼんやりしているときなど、右目と左目が仲のわるい夫婦みたいにそっぽを向いてしまう。
ひと言でいやあロンパリというやつだ。
若いときからすでにそういう状態だったから、わしも気になった。
まずいご面相がよけいまずくなると思ってな。
で、目医者へ足を運んだ。
医者は言った。
左目の眼筋のバランスが悪い。眼球(要するに目ン玉だな)を外側へ引っぱる筋力が弱っていると。
「治療法は2つある。1つは手術して左右の眼筋のバランスを “整える”。もう1つは自身が日々鍛錬して、眼筋を ”鍛える”。
ただし眼筋運動は、やめるとすぐまた元に戻る可能性がある。一生続ける必要があると思ってやった方がいい。医者としては手術を薦めます」
わしはそのとき、眼の中にメスを入れるなんてトンデモナイと思った。ひと言でいえばビビッた。で、後者を選んだ。
その結果、医者の言ったとおり、この歳になってもまだ眼球運動をつづけとる。止めるとすぐにロンパリが当たり前のような顔をして復活するからだ。なかなかしぶとい。
歌舞伎の成田屋(團十郎などの市川家一門)に、“にらみ”という伝統的パフォーマンスがあるのを知ってるな。
左右の眼をぐぐっと中央に寄せるやつ。今の海老蔵などがやれば実にカッコいい。サマになる。が、ボケじじィがやったら、単にザマがないだけだ。
だから老骨にムチ打って、今なお日々 眼筋運動をやっている。
だが、けっこうしんどいんだ、これが・・・・。
そこで貴チョーな教訓を得た。
「勇気は一時の苦痛、ビビリは一生の苦労」
ドーダ、転んでもタダでは起きんだろ。
※この眼球運動に関してはまだ続きがある。ほんらい書きたいのはこっちの方。(→『ボケじじィの“にらみ”(下)』)