続けることの大きさ

キッチン

 前回の記事『鬼の居ぬ間に洗濯すると』で、同じ食材・同じやり方で作っても、でき上がる料理はカミさんとわしとでは大きな差が出るという話を書いた。
 改めて、カミさんの料理の腕前を知ったわけである。(前回の記事はこちらから)
 
 しかしそのカミさんも、最初から料理がうまかったわけではない。
 センスがなかったわけではないが、当時、彼女は料理にとくべつの思いを持っていなかった。家庭の料理はヨメさんが作るもの・・・という世間一般の常識にしたがっただけだ。(こういうこと言うと、旧式男のたわごとだ・・・と叱られそうだが、50年まえの話だからね、ゴメン)

 一方わしは、食糧難時代に育った後遺症で、腹いっぱいに食べられさえすれば満足だった。味に文句をつけたり注文を出したりすることはなかった。
 その結果、彼女の腕はとくだん上達しなかった。ごく一般的なレベルの食事づくりが長く続いた・・・というのがまあ実情だろう。
 
 しかし最近のカミさんが作るものは美味しい。何を作ってもまずいと思うことがほとんどない。冷蔵庫に残っている有り合わせのもので作ってもけっこううまい。
 中にはこれは絶品だ、プロに負けない・・・というくらいのものもある。
 
 なぜここへきて急に彼女の料理の腕は上がったのか。

 わしが考えるところ、その理由は大きくいって二つあると思う。
 一つは状況の変化によって、同じ作るならできるだ喜んでもらえる美味しい料理を作ろう、という気持ちになったこと。
 そしてもう一つは、何はともあれ彼女は長く料理をつくり続けてきたということである。

 考えてみるとカミさんは50年余も、毎日欠かさず料理をつくってきたのだ。
 自分では意識していなかったと思うが、その1食1食が彼女に料理人のコツを仕込んだ。一回一回に得るものは目に見えないほどのものであっても、数十年にわたって、何千回何万回とつくり続けてきたことで、プロの料理人にせまる奥義を身につけさせた・・・のではないかと思う。
 
「継続は力なり」という言葉をあちこちで聞く。
 しかしあまりにひんぱんに聞くので、”イカと肩を組んだタコ” が耳にできてしまって、中まで入ってこない。
 もったいない。
 何かを成しとげるのは、結局、続けることが根本なのに。
 
 ここまできてふと思う。
 いったいわしは何を続けてきたのだろう?
 ただ息をし続けてきただけだって?

 いるんだ、この世には、そういうヤナことを言うやつが。

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続けることの大きさ” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    あらっ♪
    我が家と良く似ていらっしゃる♪
    実は私も奥様とまったく同じ♪
    しかも、旦那もただひたすら出されたものをお腹いっぱい食べる人(笑)
    たまに魚が焦げても「そんなことでギャーギャー言ってたら、うちでは生きて行けん」と失礼なんか優しいんかわからん言葉とともにオコゲを食べる人です(笑)
    けどね、毎日作っていると、料理も好きになって来たのか、最近はNHKのお料理番組をみて、試すのがちょっとした楽しみになっていますよ♪

    1. Hanboke-jiji より:

      同じです。
      うちもかつてはテレビで料理番組をやっていても
      ただ見てるだけでしたが、このごろは慌てて紙と
      ボールペンを持ってきて要点をメモしています。
      もっともメモしないと100%忘れてしまうからです
      けどね。

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