謝りたくても親はいない

 高齢の義母が亡くなって、空いた家にわしら夫婦が引っ越ししてきた。
 それまでとは家の諸設備がちがうので、住んでいて勝手がちがうのに戸惑うことが少なくない。
 そのひとつがトイレの便器である。
 
 このトイレは、義母がまだ生きていた数年前にリフォームしたものだ。
 で、便器も古式ゆかしき “しゃがみ型” から、最新式の “温水洗浄器付き” に変わった。
 
 だが、義母はあまり喜ばなかった。娘(わしの女房)があれこれ調べて誂えたものだから、強くは言わなかったけれど、だいぶ使いにくかったらしい。
 
 わしらは、
「やっぱり高齢者は新しいものには馴染めないんだよね」
 などと受けとめていたが、今回、自分たちが日常的に使ってみてようやく義母が喜ばなかった理由がわかった。考えてみれば自分たちだって高齢者だったのだ。ひとの話なら笑えるが、自分たちのことだと笑っている場合じゃなくなる。
 
 要するに、便座の位置が老人には高すぎるのである。すわると足が床から離れそうになる。座りようによっては実際に浮いてしまう。つまり足がブランブラン状態。
 幼女がブランコに乗って遊んでいるのではないから、これは楽しくない。
 
 足が床から浮くということは、便座に接しているお尻や太股に全体重がかかるということである。
 若いときのように、あふれんばかりの肉が付いているお尻や太股ならいい。しかし高齢になると、お肉はつつましく退いてほとんど底をついている。肉の役目を果たせない。つまり痛い。
 そういうことが日常的に使ってみて初めて分かったのである。
 
 わしらでさえそうなのだから、義母の使いづらさは推して知るべしだ。じっさい、彼女の晩年は体が小さく縮んだうえ、肉もそげ落ちて骨と皮ばかりのようになっていた。
 
 彼女の娘であるわしの女房は、老いた母親が少しでも暮らしやすくなれば・・・とリフォームしたのだけれど、現実はそうした思いとは逆の結果になってしまった。
 いっしょにリフォームした洗面所や風呂場にも、同じように不本意なところがいくつかあった。
 人生は思った通りにはならないとはいえ、なんとなく悲しい。
 
 また高齢者時代と口高に叫びながら、社会は高齢者のことをほんとうに考えてはいないと分かるのも、哀しい。
 
 ともあれ改めて義母に謝りたい思っても、彼女はもうこの世にいない。
 遺影に手を合わせるとき、いい年をしながら思いが至らなかったことに、許しを乞う以外にない。

 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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