バカと橋

 陸橋

 年をとると、跨道橋を目のカタキにするようになる。
 車の渋滞を避けるために、道路の上を跨いで架けられるあの陸橋のことだ。
 
 わしが子供の頃は道にこんな橋などなかった。世の中に車が多くなかったからだろう。カタキは本当はクルマなのかもしれん。

 跨道橋がさかんに作られるようになったのは、わしが学生の頃だ。高度成長期に入る入口あたりか。
 
 その頃は跨道橋もわしにとってカタキではなかった。抵抗もなくヒョイヒョイと階段を上り、敵意もなくトントン下りる。何の問題もなかった。むしろ橋の上で、思いがけない光景を俯瞰できるので、楽しくさえあった。
 
 ところが年をとると、この陸橋は路上の厄介モノになる。
 道を歩いていて先のほうに跨道橋が見えると、ウマの合わない上司に出くわしたような気分になる。
 
 交差点などに跨道橋が作られると、それまであった路上の横断歩道がなくなるケースが多い。いやでも跨道橋を上り下りしなければ先へ進めない。それだけで平坦な道路を1キロ近く歩いたのと同じくらい疲れる。足腰の筋肉を使うからでもあるが、それ以前に気分が疲れる。
 
 というわけで、年をとるとできるだけこの陸橋を避けようとする。ヤなヤツと道で出会ったら顔をそむけるようなもんだ。
 
 以前にも書いたが、わしらは週に1回、少し遠出の買い物をする。運動も兼ねるので・・・というより運動をするために遠出するので、バスは利用しない。行き帰りとも歩き。

 その道中にひとつ大きな交差点がある。そこに筋骨隆々、横柄な身体つきの跨道橋が立ちはだかっている。こういうヤツとはできるだけ付き合いたくない。
 
 不幸中の幸いというか、この交差点の縦横4つの横断箇所のうち、1個所だけ路上に縞がらの歩道が残されている。わしらとしては、この横断歩道を利用して交差点を乗り切りたい。
 
 ところがこのゼブラ模様は、わしらが歩いている道の反対側に付いている。交差点に着くまでに、車道を向こう側へ渡っておかなければ、このゼブラの背を歩けない。けっこう車の往来の激しい道路で、左右からくる車の途切れ目をうまく見極めて渡らないと、危険をともなう。
 
 ところがこの見極めのタイミングが、わしとカミさんで違うのだ。
 わしは「大丈夫、いける」と思っても、カミさんは「まだまだ。まだ危ない」と慎重だ。「大丈夫だって!」「まだ危ないって!」と言い争っているうちにタイミングを失う。
 
 こういうアホなことを、行き帰りに毎回くり返す。
 こんなことやってて、タイミングを誤って道路へ飛び出せば、車とタイミングが合ってあの世へ直行・・・ってことにもなりかねないのに、である。
 
 いま思い出したが、むかし読んだサラリーマン向け自己啓発本には、たいてい、「イヤなやつほどちゃんと付き合え」と書いてあった。それが人間をきたえ、器を大きくする・・・と。

 考えてみれば、この筋骨隆々の跨道橋だって、ちゃんと付き合えばわしらの老体を強くしてくれるはずだ。
 運動のためにわざわざ遠出しているのだから、その方が目的にかなうはずである。
 
 目にもあざやかな矛盾。
 
 こうやって振り返ってみると、なんという愚かなことを人間は(・・・ってわしらのことだけど)やって生きているんだ、と呆れる。
 
 つくづく思うけど、人間て(わしらのことだけど)バカな生きものだねぇ。

 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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