弱みにつけこむ

難聴と補聴器

 相手が高齢で、耳が遠くなっていると分かっていても、
「えッ?」
「えッ?」
「えッ?」
 とつづけて3度聞き返されると、話しかけたほうは気持ちが萎える。少し強めに表現をするなら、かすかにムカッとする。「仏の顔も三度まで」ってヤツだね。

 それでいてその後で、聞き取れないのは老齢のせいで、相手に非はないのに・・・と軽い自己嫌悪につつかれたりする。
 ・・・といったサエえないことを、亡くなった義母に対してついこの間までやっていた。
 
 それがいま、わし自身が義母と似たような聞き返しを時おりやっている。
 そんな自分に自分で驚く。
 相手の話すことがちゃんと聞き取れない。意味の通じる内容として頭に入ってこないのだ。Amazonからダンボールは届いたが、中身がどっかで抜かれたみたい。あるいは一部が別のモノと入れ替わる。
 
 耳の老化で人の言うことが通じなくなるということは、実は高齢者にとって大きな問題である。

 冒頭に述べたように何度も聞きなおすと嫌がられるので、相手の言っていることがよく分からなくても、分かったような顔をするようになる。

 当然話がちぐはぐになり、何回か続くと、相手は自分と話すのを避けるようになる。当人の自尊心は傷つき、人と会うのがイヤになる。会うのを避ける。社会性が失われる。

・・・といったふうに事態はトントンと進むが、じつはそれが認知症を進行させる大きな理由の一つだという。悪くするとウツ病も併発させる。

 この障害(難聴)がやっかいなのは、医学的治療による改善がほとんど望めないころこにある。
 人体の精密機械である心臓さえ、金網(ステント)を入れたりバイパスを作ったり、場合によっては他人の心臓を移植したりまでして治療が可能なのに、三半規管の移植によって、古女房の愚痴が聞こえるようになって却ってうるさい・・・というような話はあまり聞かない。
 おそらくそれは、難聴の多くが加齢による機能劣化が引き起こすもので、一部の部品を取っ換えればOKというわけにはいかないからだろう。

 高齢者にとっては悩ましい問題だ。

 この弱みにつけこんで商売しているのが、補聴器メーカーや販売業者だとわしは思う。断っておくがこれはあくまでわしの個人的見解だよ。
 
 昨年、義母が100歳まぢかで亡くなったが、90歳を超えたあたりから耳が遠くなった。で、上に述べたような状況になって、補聴器に助けを求めた。

 販売員は、自分の親が大けがでもしたみたいにすぐさま飛んできてくれたが、驚いたのは値段の高さだった。
 耳が遠くなったら目玉が飛び出る・・・なんて笑えない。

 耳の穴のような小さな所に精密な装置を入れるので、ある程度高くなるのは仕方ないとしても、他の同様の精密器具と比べて異常に高い。
 補聴器より小さくて、より高度な技術を詰めこみながら、補聴器よりはるかに安い電気器具は他にたくさんある。
 
 それを考えると、補聴器メーカーや販売業者は、背に腹は替えられない高齢者の弱みをつけこんで、不当に高い値段をつけ、暴利を貪っているという印象を拭えない。
 
 もちろん中には、老人のこの宿命的不自由を軽減しようと使命感をもって努力している人もいるだろうが、業界全体としてはのイメージは、決して良いとは言えない。

 高齢者をターゲットにするオレオレ詐欺を連想するくらいだから。
 
 業界全体としても、長い目でみれば、決して賢明な策ではないのではないか。

 

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