黄金期のはなし
「人生の黄金期」という言葉がある。
ハイグレードのアート紙を使った大型高級雑誌の、美麗な広告ページ誌上でときどき目にするフレーズである。
こういう広告が狙っているのは、たんまり金を持っているいるハイグレードな老人たちだろう。
つまりここで言われている「黄金」とは、じつは太陽が山の端へさしかかる落日時の、黄色い光のことである。
ところで、この黄金の光を浴びる人間は、べつだん金を持っている老人だけに限らない。わしのような “黄金” にはとんと縁のないローグレードな老人にも、山の端にさしかかった落日はケチケチせずにやってくる。
というかこれはむしろ、間もなく日が沈む人間、つまり老人特有の光というのが現実である。
いま “光” と言ったが、お察しのとおりこれはまあ逆説ネ。
むかしは夕暮れ時のことを「逢魔が時」とも言った。
辞書は、「何やら妖怪・幽霊など怪しいものが出てきそうな時間」と説明している。つまり出会ってあまり嬉しくないモノに出会うのも、老人の特権のひとつである。
はばかりながらわしもこの特権を十分に享受している。
幽霊・妖怪とまでとはいかないが、老年期に入ってから出会ったものに、愉快なものは少ない。
たとえばそのひとつに歯がある。
このブログでも以前に取り上げているが、老年に入ったある頃から、歯のうちの何本かが不満そうにグラグラ体を揺らしはじめる。どうしようもないので放っておくと、グラグラはしだいに大きくなり、やがて実力行使をして家出してしまった。
カミさんの家出ほどではないが、これには困った。
まず食べものがよく噛めない。食事は数少ない老人の楽しみなのに、その楽しみが大いに減ずる。
次いで話すとき、声の形がくずれる。ふにゃふにゃした声になり聞き取りにくい。そうでなくても声質が悪くなり、聞き返されることが多くなっているのに・・・だ。
致命的なのは、前歯が抜けるとそこにホラ穴ができることである。しゃべると口の中に黒いホラ穴がチラチラするというのは、ホラホラここに老人がいるよ、って宣伝している感じで美しい光景とは言えない。
さらに、後ろで支えるものがなくなるから、口まわりの皮ふにシワが寄る。
久しぶりに人と会うと、口には出さなくても、「ずいぶん年を取ったねぇ」と思っているのが顔に出る。わしは顔には出さないがカンに障る。
ともあれ、前歯のホラ穴と口まわりの老いジワの2本立てで老人臭さを発揮するのは、できることなら避けたい。
で、歯科医にかかり、義歯をいれた。
見た目には一応きれいになったが、問題は残った。
入れ歯は最低1日1回は外して水で洗わねばならない。
洗ったあとむろん口に戻すのだが、問題はそのときに起きる。
すんなり口に入ってくれないのだ。歯科医の腕が良くなかったのだろうが、残っている純正の歯と作り物の義歯が、場所の取り合いをする。
・・・となるとこの世の常で、強いのは作り物のほうだ。
そもそもわが純正歯は老いて足元がおぼつかない。石のような義歯に押されてあえなく揺らぐ。そのとき神経が刺激されて痛い。
といって入れ歯を入れないわけにはいかないので、眉間にシワを寄せてむりやりに押し込む。
毎日これをくり返す。
”人生の黄金期” の日々はこうして光り輝くのである。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。