逃げるは恥だし役に立たない

老人とはこういうものだ

 数年前『逃げるは恥だが役に立つ』というテレビドラマが評判になったが、そのドラマに主演した二人が結婚した・・・ということで最近またマスコミを賑わした。

 若いっていいねぇ、わしらなど50年以上も結婚しているのに、誰も話題にしない・・・って、それハナシが違うだろ。
 
 はい、違いマス。
 で、話は違いマスが、人並みにわしもお金が好きデス。
 愛があればお金など要らない・・・なんてコトを言う年ではないから。
 むしろチャンスがあれば追いすがってでも愛し合いたい。チャンスがないだけで・・・。
 
 逆に、お金が逃げていくチャンスならいらでもある。
 たとえばただ生きてるだけでも金は要る。年を取れば空気だけ吸って生きとれる、わけじゃない。
 で、毎日スーパーに食材を買いに行く。
 お金は日々リチギに逃げていく。

 いま「逃げていく」と書いたたがもちろん比喩だ。
 しかし年をとると、比喩ではなく実際に、つまり物理的にお金が逃げていく場面に立ち会うことがある。
 
 たとえばさっき触れたばかりのスーパーストア。
 食材をカゴに入れ、レジに並び、順番が来て、払うべき金額を告げられたとき。

 ポケットやバッグから財布を取り出し、さらにその財布のなかの紙幣や硬貨を取り出すというのは、若いひとには想像つかないかもしれないけど、実は年寄りには意外と簡単ではない。若いとき、好きな異性のまえで落ち着いて話をするのと同じくらい難しい。
  
 紙幣はまだいいが、問題は硬貨。
 いつの頃からこうも反抗的になったのか知らないが、コインをガマ口の中から取り出そうとすると抵抗する。必要なコインがうまくつかめない。なぜか指先から逃げまわる。
 
 後ろの人が舌打ちするのが聞こえる。実際に聞こえなくても、腹の中で「老人はコレだからコマル」と思っているのが分かる。
 ま、こっちで勝手にそう思ってしまうのだけど。年寄りのヒガミ。

 短気なわしは「ええい、メンドー」と手のひらの上にジャラジャラと硬貨を出して、必要な額を手のひらの上から選び取ろうとする。
 すると、ときたまその手からコインが落ちて床に転がる。

 どこへ転がったか見えた場合はまだいい。だが転がり先を追えなかった場合はヤッカイだ。骨をギシギシ言わせ、ヨタヨタしゃがみこんで、顔を床に近づけて探さねばならない。

 後ろに並んで待っている客たちが見下ろしている。
 その客たちの目に映っている自分の姿が、見える。
 ま、ありていにいえば床を這ってるナメクジ。どこから見ても美しい光景ではない。・・・というか、これほど情けない気持ちになることはない
 ましてや落ちたコインが、レジ台の下などに駆け込み寺よろしく逃げこんで、身を隠してしまったら・・・。
 
 で、こうした場合、落ちたのが1円玉だったらハナから無視する。
 ところが世の中には親切な・・・というかお節介な人がいて、「もしもし、落ちましたよ」と後ろから声をかけてくれる場合がある。

 人の善意を無視するのは悪いので、内心「もう、ほっといてよ」とぼやきながらも、礼を言ってしゃがみこみ、1円玉探しをする。
 
 もちろん、落としても誰も何も言わないときもある。(ま、その方が多い)
 そういうときは、落ちたのが1円玉でなくて5円玉でも、いや10円玉でも無視する。50円玉以上だと迷わず拾いにいくけど・・・。

 ・・・とまあ、正直、掛け値なしに「年は取りたくない」と思うのはこういうときだ。
 といって逃げようとすると、つまづいて恥の上塗りをする。なんの役にも立たない。

 ・・・ということで、「年を取るとはこういうコトだ」と腹をくくる以外にないのでありマス。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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