夏の終り

夏休みの終わり

 感覚と現実がズレるときがある。
 
 たとえばお盆を過ぎると、突然のように世の中が暗くなる。・・・ような気がする。
 
 つい数日まえまでは、戸外に出ると陽の光がまぶしくて目をしばたいていたのに、毎年お盆(8月15日前後)が終わると、世界がすこし翳ってくるような気がする。
 
 おそらくそれは、小学生の頃に味わったこの時節の気分が、いまだに身体のなかに残っているからのような気がする。

 8月も半ばを超えようとするこの頃は、長かったはずの夏休みもすでに終わりに近づいている。・・・という事実がまず心を重くする。
 
 わしは小学生のころから、子供らしくない合理主義で行動するカワユクない所があって、夏休みに入ると、最初の1週間でかかりっきりになって宿題を全部かたづけた。
 その方が後につづく夏休みぜんぶを、後顧のうれいなく思いっきり楽しめるからだ。
 第一、休みが終わりに近づいてからやむを得ずシブシブやるより、最初に、あとにつづく夏休みの輝きを思い浮かべながらやるほうが、作業が遙かにしんどくない。
 
 それでも、8月の下旬に入ると心は暗くなった。
 また毎日学校に通わなきゃならなくなる。
 朝から晩まで野山を自由に走りまわって遊べる自由が、なくなる。
 世の中の雨戸が閉められて暗くなる感じ。

 そんなことは最初から分かっているはずだが、それまではどこか他人事のような気がしている。
 それがお盆が過ぎると、突然、まぎれもなく重い現実として目の前にドシンと置かれる。
 
 そういう心理的側面はあるのだが、じつは暦の上でも陽の光が衰えを見せはじめている。
 太陽がピークとなる夏至からすでに2ヵ月が過ぎている。夜と昼の長さが等しくなる秋分の日まで、あと1ヵ月だ。
 暑さが続いているのでつい気づかないでいるが、昼は確実に短くなり、陽の光は弱くなっている。世の中が暗く感じられて当然なのだ。
 
 自然の生きものたちは、そうした季節の移り変わりを正確に感じ取るらしい。
 この頃になると法師蝉やカナカナ蝉の声が多くなり、油蝉やミンミン蝉は舞台の後方へ退いていく。
 
 今も、カナカナやツクツクが窓外でさかんに鳴いている。
 
 いつにもまして寂しげに聞こえるのは、夏と同時に、自分の人生も終わりに近づいていることを感じるからであろうか。

 小学生時代の夏休みとちがい、やり残した・・・というより、やれずに終わった多くの宿題を残したままだからねぇ。

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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