親 友(4)

時は流れる

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 大学を卒業したあと、わしたちは別々の道へ進んだ。
 生木を裂くように・・・なんて言葉が思い浮かぶが、実際そんな感じがないでもなかったけれど、お互い将来のやりたい方向に違いが出てきたので、やむを得なかった。
 Sは大手劇団の文芸部に入り、わしは大手映画会社傘下の記録映画会社に入った。
 
 こうして別々の道へ歩みはじめたけれど、精神的なわしたちの関係はそのまま続いた。
 Sは走りづかいや助手の時代を経て、文化庁在外研修員として米英へ研修留学に派遣されるなどして、演出家としての地歩を堅実に築いていった。
 
 Sが担当する作品が上演されるときには、必ず招待券が届いた。
 わしは欠かさず舞台を観て、あとで酒を飲みながら感想を述べた。直接会う時間が取れないときは、手紙にして書き送った。
 
 テレビや映画でよく顔を見る俳優たちも多く出席した彼の結婚式では、友人代表として祝辞を述べた。

 彼のような立場の者には必要なのだろうが、ときおり自宅で開いた欧米風のホームパーティには、かならずわしたち夫婦も招待された。
 彼に子供ができてからは、家族ぐるみの花見に行ったこともある。

 こうして十数年の月日が流れた。
 ある年、劇団のその年の目玉作品として企画された大型公演の演出に、Sが抜擢された。
 通常なら劇団幹部のベテラン演出家が担当するところだ。
 
 アメリカの数十年の世相の変化を背景にした大作で、日本未公開作品。
 S自身が翻訳も担当した。
 当然、彼は大いに張りきり、十分に時間をかけて準備をして、公演後の世評も悪くなかった。

 しかし、わしはその舞台を観てすなおに喜べなかった。
 Sは明らかに間違った方向へ足を踏み入れている、と強く思った。
 
 かつてSは謙虚な男だった。
 その謙虚さゆえに、前後左右に目配りが行きとどき、そのことが彼の仕事に幅と奥行きを与えていた。

 しかし実は、その数年ほど前からある変化が現れていた。
 彼の言動・・・という前にまずふだんの彼の雰囲気から、謙虚さが薄れた。
 呼応するように彼の仕事から、Sらしい良さが淡くなっていったのである。
 
 わしは気になったが、あえて口には出さなかった。
 夫婦みたいに・・・いや夫婦以上に常にいっしょにいた学生時代とは違う。
 彼は今やプロとしてかなりの実績を積んでいる。素人が軽々しく口を入れるべきことではないと思った。
 これは誰でも、成長過程で一時的に現れるものなのかもしれない。利口な男なのだからそのうち自分で気がつくだろう、などと言いわけをして口にするのを避けていた。

 しかし、彼のキャリア上でも極めて重要なエポックとなるべきこの作品では、Sのその近年の悪い傾向が顕著に現れていたのである。少なくともわしにはそのように見えた。

 くり返しになるけれど、以前の彼の仕事には、心から演劇を愛し、あえていえば演劇に殉じても悔いはないといったふうな純粋さがあった。
 若いあいだは年齢からくる未熟さはあったかもしれないが、演劇に向かう姿勢に卑俗な夾雑物はなかった。
 その純粋さが、作品によって多少の出来不出来はあっても、基本的に彼の舞台を良質なものにしていた。

 そのころ彼は、劇団内における中堅演出家として地位を固めつつあった。その年の目玉となる大作に起用されるくらいだから、中堅のなかでも上位・・・幹部候補に擬せられるくらいの位置にいたかもしれない。
 劇団員たち、とりわけ若い俳優・スタッフたちの、彼に対する対応・態度がどのようなものだったか想像にかたくない。
 
「新人殺すにゃ刃物は要らぬ、何はともあれ褒めりゃいい」
 数回前に取り上げたものだが、演劇界のみならず画壇や文壇でもひそかに囁かれる言葉だ。
 
 Sはもはや新人ではないが、いま同様のあやうい橋の上を歩いていると、そのときわしは思った。
 本来なら劇団の上の者が忠告してやるべきかもしれない。だが残念ながらそういう状況ではなかったのだろう。
 ・・・というか、まさしく上記の箴言が彼に対しても行われたのかもしれない。
 
 それにしても、Sのようにモノの見える男でも、自分のこととなると目が曇るのだな・・・という思いが強まって、わしは思いきって腰をあげた。
 
 学生時代 “ひとつ布団に寝た” 親友であり、さらに重要なのは、現在は職場を異にしていて利害関係がまったくない。
 おそらく、いやまちがいなく、今のSに率直に忠言できる人間は世界に自分しかいないだろう。

 もちろん嫌な顔をされて不快を味わうかもしれない。しかし真に友を思うなら直言すべきだ。それこそがまさに親友の親友たるゆえんではないか。

 わしは時間をかけて長い手紙を書いた。
 直接会って話をすると、途中、不用意な言葉ひとつで感情的になり、喧嘩になりかねないと思った。
 とりわけ持病系かんしゃく玉を内蔵するわしは、要注意だった。
 意を尽くすには、書き直しや推敲ができる手紙のほうがいい、そう思ったのである。

 しかし・・・その手紙が絶縁状になった。
 確かに、Sにとって相当に耳の痛い言葉を書き連ねた。だがそれは親友だからこそできるのであり、友情の証にほかならない、とその時わしは信じて疑わなかった。

 手紙への反応はなしのつぶてだった。
 だけではない。以後、彼はわしにいっさい連絡をしてこなくなった。わしからの連絡にも応じなくなった。
 わしたちの交友は完全に断たれた。
 思いもしないことだったが、以後今日まで、全くの赤の他人となったのである。

 あれからさらに星霜をかさねて、思うことはある。
 ひとつは、あの時のわしの行動の底の底に、嫉妬や妬み・・・あるいはそれに類いする感情はまったくなかったか、ということである。

 もうひとつは、彼に忠言できるのは親友だからこそ・・・とあのときは信じて疑わなかったけれど、それひとつとってみても、当時の自分がいかに人間というものを上っ面の浅いところでしか見ていなかったか、ということだ。

 さらにいえば、わしがSの変化に失望したのと同じように、Sの方でも、時を経るなかでわしに対して失望する何かを蓄積させていたのではないか、という思いもある。

 蛇足を承知でもう一つ付け加えるなら、人間ってとにかくメンドークサイ。

 ・・・と今なおそういうことを言っているようでは、わしの社交べたはついに一生かけても改善しなかった、ということであろう。

 やれやれ。
 

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