入れまちがい

カステラ

 「さだまさし」という歌手がいる。

  国民的歌手とか言われるほど有名だし、今なお現役として活躍しているから、新聞雑誌などのメディアでその名を目にすることは多い。
 そのたびにわしの頭の中には、じつは「人生はだましだまし」という言葉がフラフラ浮かび上がり、浮遊する。

「だましだまし」なんて人聞きが悪い。
「だます」は「騙す」と書いて「人をあざむく」ことだ。「人をだまして金を取る」とか「まんまとだまされて土地を奪われた」などと使われる。
 そういう悪辣な意味のことばと、「人生」を結びつけているのだから、まあひねくれたフレーズではある。

 さだサンには申し訳ないが、実はコレ(「さださまし」と「だましだまし」が結びつくこと)は、わし自身にもどうにもならない。
 そういう反射神経の回路が頭のなかにできちゃっているからだ。梅干しを見ると唾が出るのと同じ。
 
 田辺聖子さんという小説家・エッセイストがいる。
 いやいた。一昨年、彼岸へ渡られた。
 以前にもいちど当ブログで触れた事があるが、比較的好きな作家だったので、わしの本棚にも、むかし買ったこの作家の著書が何冊かある。その中の一冊に、『人生は、だましだまし』というタイトルが付けられているのである。
 
 何かの本を探そうとして、本棚に並ぶ本の背表紙のうえに視線を走らせることがある。
 その際、この本『人生は、だましだまし』の背中のうえを通るとき、ほんの一瞬だけ目が留まる。「あッ、こんなところにさだまさしの本があるけど、彼の本を買ったことなどあったっけ?」と思う。そしてすぐ、あ、いや違った、田辺聖子の本だった、と気づく。

 この種の思い違いがちょくちょく起きる。それも年とともに物忘れ症が昇格するにつれ、前回やったポカを忘れて同じことをくり返す。

 ・・・という経緯があって、「さだまさし」と「だましだまし」が、わしの頭のなかで手を結んでしまったのである。

 熱狂的なファンのなかには、見るモノすべて・・・例えばジャガイモや玉ねぎもさだまさしの顔に見える、という人もいるらしい。が、わしは、ジャガイモや玉ねぎを見るとカレー・ライスを思い出す。
 正直にいうと、彼の歌は「関白宣言」くらいしかちゃんと聞いたことがない。

 もうだいぶ前になるが、腹を空かせて帰宅すると、キッチン台にある皿の上にカステラが載っていた。思わず手にとって口へ入れたら、皿洗い用のスポンジだった。よく似た形だったとはいえ、われながら雑な振る舞いという以外にない。口の中を中性洗剤で洗ってどうする。

 が、まあ、台所用スポンジをカステラと間違えるていどならご愛敬だ。
 カミさんに笑われる、もしくはバカにされるだけですむ。
 しかし政治家をうわべだけ見て選ぶと、とんでもないことになる。
 前アメリカ大統領はその典型例だろう。そのため世界中が大迷惑を受けた。
 
 よその国だけの話ではない。
 ついこのあいだ辞めたわが国の前首相も、トランプさんみたいに派手ではないが、間違って選ばれた一例であると思う。
 長く官房長官をやって、大きなミスをしなかったのを見て首相に選ばれた。

 そもそも官房長官と首相は別の職種だ。適性も、ジャガイモと玉ねぎくらい違う。
 その辺りの事情をきちんと考えず、また当人の資質との相性も考慮しないで首相に選んだ。つまりいい加減で雑な選び方をした。わしが台所用スポンジとカステラを間違えて口に入れたのと大差ない。

 そんなことを一個人のキッチンではなく、政界のメインテーブルでやられては国民が迷惑する。
 
 選挙も近い。
 半ボケは半ボケなりに、心しなければと思っている。
 日本は、中世洗剤で洗ったくらいでは落ちないくらい汚れているかねぇ。 
 

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