人生はだましだまし

臨終

 前回、歌手の「さだまさし」さんの名前と、田辺聖子さんの『人生は、だましだまし』という本のタイトルが、わしの頭の中でごっちゃになってしまう・・・というしまらない話をしたが、今回はそれからのスピンオフ。(前回はこちら
 
「人生はだましだまし」という言葉は、じつは田辺聖子さんの発見ではないと思う。
 若いころ数年間関西支社にいたが、古株の上司に言われたことがある。
 
「人生ってのはな、そんな四角四面に向き合うもんじゃない。だましだまし生きてくのがちょうどええんや。それが人間の知恵っちゅうもんや」

 半世紀以上も前の話なのに、妙にはっきりと憶えている。
 おそらくわしが青臭い手に正義の刀をにぎって振りまわし、世の中のうす汚い出来事を批判したのでもあろう。
 上司のことばが今なお頭の中に残っているというのは、若い頭にもそれなりにひびくものがあったのだろう。

 ともあれ日本語には(とりわけに関西語圏には)、むかしからそういう言い回しがあって、それを田辺聖子さんが本のタイトルに使い、よりいっそう世に広まったのだろうと推測する。
 
 この言葉を最初に教えてくれた上司の年齢を、今のわしはるかに超えている。
 その目から見ると、この言葉はけっこう奥深いものを含んでいるように思える。
 
 前回の冒頭で書いたように、「だます」という言葉は「あざむく」という意味で、良いイメージに結びつくものはどこにもない。
 だがその言葉を重ねて(→「だましだまし」)、ある状況のなかで使うと微妙に意味の立ち位置がうごく。
 言葉をいちどふやかしてみる。すると思いがけず柔らかくなって、人生の微妙な本質に手が触れる気がする。そんな手触りのする言葉だ。
 
 田辺聖子さんの夫は医師で、豪快にして繊細な人物だったらしい。お似合いの夫婦だったようだ。
 毎夕、ギャグやジョークを食卓の上に飛ばし合いながら、それを肴に晩酌を楽しんだらしい。

 どこかに書かれていた話だが、そうして36年間つれ添った夫が先に逝ったとき、「ほな」と夫が言い、「ほな」と妻が返したのが、臨終のさいに交わした最後の夫婦の会話だったという。
 
 このたった2語の短い言葉のやりとりほど、深い愛情と人生を蔵した臨終の言葉はないように思う。

 田辺聖子さんの言葉でわしの好きなのをもうひとつ。
「夫婦の間では、<われにかえる>ということは、見合わせたほうがよい」
 
 ・・・・ほな。
 

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