マウントをとる
何かにつけて一家言ある人間っているよね。
たとえばみんなで餃子を食べに行くと、
「ねえねえ、ギョウザって、何で三日月形してるか知ってる?」
とか言い出す。
「具を皮でつつむとき、丸くつまんで餅みたいにしたっていいわけじゃない。でもギョウザって、みんな三日月みたいな形にしてるよね。アレなぜだか知ってる?」
・・・などというのから始めて餃子のウンチクを語る。
蕎麦屋に行けば蕎麦のウンチク。
便秘の話になったらウンチのウンチク。・・・ってなるよね、トーゼン。
何かで読んだんだけど、会社の女性用化粧室では、自分の使っているファウンデーション(他の化粧品でもいいけど)が、いかに他の人のものより質がいいかと言い合って、大論争になることがあるらしい。
あるいは、なにかの席でたまたま大河ドラマの話になると、いきなり自分の家の先祖の話を始める奴がいる。オレの家ってサ、元をたどると、どうも足利尊氏のエライ家来だったらしいんだよね、などと言い出す。別にちゃんとした家系図があるわけじゃないらしいんだけどね。
要するに何かにつけて自分を持ち上げて、相手より上である・・・ということを周囲に示そうとする。
そういう人間っているでしょ、あっちやこっちに・・・。
わし、野生動物のドキュメンタリー番組が好きで、わりあいテレビで見るんだけど、人間だけじゃなく他の動物も同じようなことやる。
つまりどの動物もみんないわゆる順位付けをやるらしい。
猿などのマウンティングは見てすぐ分かる例だが、出合い頭に目と目と合わせただけで、一瞬にして順位が決まるものも中にはいるらしい。
要するに群れをつくって生きる動物は、自分が他より上であることを示そうとする習性がある。習性というよりむしろ本能だね。
つまり社会生活をする生きものは、各個体間に順位を付けてヒエラルキーを作るほうが、個としても全体としても余計なエネルギーを使わないですむ。つまり生きる上で無駄がない。で、遺伝子に組みこんだ。・・・と想像できる。
話が横っ飛びするが、人間の夫婦というのは、年じゅう同じ屋根の下で生活しているせいか、よくケンカをする。少なくともわが夫婦はね。
それもきわめて些細なことが原因で・・・。
最近とりわけ多くなったのは、コミュニケーションに関わるケンカだ。
夫婦ともども頭はもちろん口や耳の老化も進んで、話の途中で齟齬を生じることが増えた。その原因が、話したほうに問題があるか、聞いたほうに問題があるか・・・ということで言い争いになるのだ。
話の齟齬の原因は、確かにこの二つのうちのどっちかなのだが、おたがいに、原因は自分ではなく相手のほうにあると主張する。
これだって、老化という年寄りの問題において、自分のほうが相手より幾らかましな(=若い)状態にある、と主張したいわけだ。
ふたり並んで棺桶に足を突っ込んでいる年になってもなお、その足の突っ込みぐあいが相手より自分のほうが多少はましだと主張して喧嘩をしているのである。いったい何やってんだろう。
隣が幼稚園なので日常の光景としてよく見るが、園児たちはしょっちゅうぶつかって、大声を上げたり泣き叫んだりしている。
こうして人間は幼稚園組から棺桶組まで、生きている間はずっと、相手より自分のほうが上だとマウントを取り合って生きているのだ。
まあ、じつにゴクロウサンな生きものだとつくづく感心するねぇ。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。