捨てる神あれば・・・・

うたを思い出すカナリヤ

 前回、脳梗塞の後遺症ですべりが悪くなったロレツを改善するために、勇んで「童謡を唄う会」に出かけたのだが、一回で挫折した、・・・というサエない話を書いたが、今回はそれにちょっとつながる話。

 何度も書いているが、わしら夫婦は運動を兼ねて、原則毎日スーパーへ買い物に出かける。老人の足で片道30分ほどの道のり。
 
 時刻は夕方が多いので、帰りはだいたい日が暮れかかる。とくに秋や冬には完全に日が暮れて、道で人と出会うこともほとんどなくなる。田舎町のことで外灯も間遠く、子どもだったらひとりでこんな道は歩きたくない。
 
 先日、そういう暗い道をひとりで歩いていて出くわしたコワイ女の話を、買い物の帰り道でふと思い出してカミさんにした。2月24日の当ブログに書いた話だ。つまり暗い道で “口裂け老婆” と出会った話である。(先日のブログ記事『口裂け老婆とすれ違った』はこちらから)
 
 するとカミさんは、そういう話をこんな所でしないで・・・と機嫌を悪くした。彼女は別のブブンでは強い女だが、こういう話にはめっぽう弱い。

 で、気分を変えようとしたのだろう、突然歌を唄い出した。
 〽 うさぎ追いしあの山 こぶな釣りしあの川・・・

 という、あるていど年齢のいった日本人なら誰でも知っているあの歌だ。3月31日に書いた『童謡を唄う会』でも唄ったばかりだった。(3月31日のブログはこちら
 で、わしもつい、口を合わせて唄った。
 
 これも20本足の蛸が耳にできるくらいに書いているが、カミさんはMCI(軽度認知障害)である。短期記憶、直近の記憶はほとんど能ナシだ。が、童謡のような、子どものころに憶えたモノゴトは、どういう脳ミソの仕組みか割合すらすらと出てくる。よく憶えているなァ~、と感心するくらい。
 
 ものを忘れるといえばわしも最近多くなっているが、そのわしも昔の童謡なら多少唄える。もっともカミさんほどレパートリーは多くないけれど、彼女の唄う後についていけば何とかなる。
 
 そこでふと思った。「童謡を唄う会」ではザセツしたが、「路上で唄う会」ならやれるのではないか、と。

 少々調子っぱずれになろうが、キーが子犬のように高低自在に跳びはねようが、周囲を気にする必要はない。人が来たら口をつぐんで澄ましてやり過ごし、過ぎればまた再開すればいいのだ。やたら大声で、というわけにはいかないけれど、ある程度の声なら出せるし、言葉をあやつれる。ロレツの訓練には充分ではないか。
 
 カミさんに話してみると言下に賛成した。
 彼女だって毎日の買い物の行き帰りは、少しでも楽しい方がいい。暗い夜道を押し黙って歩いているよりいいに決まっている。
 
 ・・・ということで、ここの所、スーパーへの行き帰りの路上が “簡易童謡を歌う会” になった。
 いつまで続くか、たいして期待を持てそうにない気配は早くも漂っているが、ま、飽きたらいつだってやめらればいいんだもん。
 
 こういうのも、”捨てる神あれば拾う神あり” と言うんだろうか。
 ま、言わないね。

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