人生はトントン?

家父長男

 認知症の家族が自由にざっくばらんに話し合う会で聞いた話を、5月26日の当ブログ『久しぶりに街でナンパされた』に書いたら、思いがけなく反響があった。今回紹介するのも、同じ集まりで聞いた話である。
 
 その話をしたのは86歳になる女性である。
 彼女(仮にAさんと呼ぶことにする)は見るからにお婆さんだ。
 体は縮んで小さくなり、顔面はシワが大きな顔をしており、頭髪は白がほぼ支配している。背も少々猫背。
 この集まりにも、よくひとりでやって来られるなァ・・・と思うくらいだ。
 
 ところがこのAさん、口を開くと思わず顔を見直す。
 しっかりした声でよくしゃべる。話す内容も老人に多く見られる混乱がなく、理路整然としている。脳梗塞の余波で未だにロレツがヨレっているわしなどより、はるかに話が明快に伝わる。
 その生き生きとした様子は、とても80代後半に入った人には思えない。いまが働きざかりの主婦のようだ。

 Aさんの夫は最近90歳を超えたという。
 彼はわしより5,6年先に生まれたに過ぎないのだが、今どき珍しい封建的・家父長的な男らしい。話を聞けば聞くほど、銅像にしてレキハク(歴史博物館)に飾っておくのがふさわしいような男だ。いわゆる世にいう ” 縦のものを横にもしない”ような・・・。
 しかし、そうなるにはそうなる理由があるらしい。
 
 彼(Aさんの夫。仮にBさんと呼ぶことにする)は防衛大学校の第一期卒業生である。
 防衛大学は戦後まもない時期(調べてみたら1952年)に創立された、自衛隊の幹部自衛官を養成する教育・訓練施設である。
 その性格上かなり規律の厳格な大学である。
 
 入学後は全員、敷地内の学生舎での集団生活が義務づけられている。
 一室は各学年から2人ずつ割り当てられた8人部屋で、生活のなかでの相互涵養が日常的に求められる。集団行動と規則正しい生活をすることにより、将来の幹部自衛官たるにふさわしい礼儀作法等を身に付けるため、と謳っている。
 当然上下関係の規律は厳しくなる。
 
 実はそれだけではない。
 Bさんは一年生からサッカー部の中心選手で、卒業後も繋がりを断たず、一時期母校のサッカー部監督も務めた。
 防衛大に限らず、スポーツ界が上下の人間関係にシビアであることはよく知られる。

 人格形成期に、そういうところで、しかも第一期生のため先輩がいない環境で若い日々を送った人間がどうなるか、想像にかたくない。
 たとえば、仕えさせるばかりで仕えることを知らない人間・・・。
 
 結婚した相手がそういう男だったAさんは、ほとんど災難に遭ったとしか言いようがない。崖の上から落ちてきたゴツゴツした特殊な大岩が、とつぜんAさんの人生に突き刺さったのである。じっさいにAさんがそう言ったわけではないけれど、彼女の口ぶりにはそう言いたげなものがあった。
 
 先ほど “タテのものをヨコにもしない” と書いたが、実際の生活においてそれは比喩ではなかった。現実に食卓の上の汁茶わんを30センチ横にずらすことさえ自分でしなかったし、座っている場所から1メートルと離れていないところにある新聞を取るのに、キッチンの流しにいる妻を呼びつけるようなことは日常空咳をするように行われた。
 
 Bさんが外出するときは、常に着るものと履くものを妻に用意させ、着たり脱いだりするときもそばで手伝わせた。パンツの着脱だけは自分でしたらしいが・・・。
 
 妻が外出するときは、常に行き先と目的を報告させ、Bさんが勝手に決めた帰宅時間を厳守させた。
 子供は二人生まれたが一切の教育は妻にまかせ、場合によっては一方的に責任を問うこともあった。
 家庭内の問題はBさんの言うことが絶対で、家族の異論・反論は認めず、全てにおいておのれの意見を押し通した。
 
 もし、たまたま結婚した相手がそういう男であったら、今の女性ならコンビニで熊に鉢合わせしたように逃げ出すだろう。即離婚だね。
 
 だがAさんはそうしなかった。
 Aさん自身の父親が明治半ば過ぎの生まれで、夫に似たり寄ったりの昔風の男だった。その父親のもと封建的・家父長的な空気の濃い家庭に育ったこともあり、また結婚してすぐ子供が産まれて、自立して生活できる手だても持っていなかったこともあって、ずるずると夫婦生活をつづけた。
 
 誰の人生にも辛いことや苦しいことは多い。何のために生まれて来たのかと思うこともある。
 しかし時に、オモシロイな、と思うこともないではない。例えば・・・、

 ”人生は結局トントンだ” と言われるような実例に出遭うときである。
 
 AさんとBさんには子供がふたりいるが、ひとりは生活の場が外国で、もうひとりも遠く離れたところに住んでいる。つまりAさんたちは実質的に高齢者ふたりだけの単独世帯である。

 そんな中でBさんが70歳少し前に認知症を発症した。
 症状は着実に進んで、80歳半ばには自立して出来ることは全くなくなった。つまりAさんがいなければ生きていけなくなった。
 言い換えれば、Bさんは完全にAさんの支配下に入ったのである。
 
 Aさんは言う。
 こういう言い方は語弊があるかもしれないけれど、今ほど楽しく生きているときはこれまでなかった・・・と。

 Aさんは老年期になって初めて自由の身になったのである。100パーセント自身の意思のままに生きることができるようになった。
 介護の負担は増えたが、実質的にやっていることは認知症以前と大きく変わったわけではない。いまの自由の喜びを思えば、ほとんどどうってことはない。
 
 実は、Aさんの喜びはそれだけではなかった。
 夫のBさんに小さな変化が生じたのである。
 90歳あたりから、何かをしたときに時に、「ありがとう」と言うようになったのだという。
 
 最初のうちは信じられなかった。聞き違いかと耳を疑った。
 しかし聞き違いではなかった。冗談でもふざけているのでもなく、まじめに言っていた。

 それが分かってからは、Aさんはそのことばを聞くたびに涙が出るようになった。
 結婚して60余年の間、一度も口にしたことのなかったことを、この人はいま口にしている。
 気持ちにはあっても、口に出しては言えなかった胸の中の思いを、この人はいまこの短い言葉の中に込めているような気がする・・・。
 それを思うと、これまでの苦労はすべて吹き飛ぶとAさんはいう。
 
 こういう話を聞くとわしも思う。
 確かに、”人生は結局トントン” かもしれんなァ~と。
 

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