「親ガチャ」も親しだい
少し前、「親ガチャ」という言葉をインターネットやテレビなどでよく耳にした。2021年の大辞泉が選ぶ新語大賞では、大賞にもなっている。
周知のようにこの言葉は、「どんな親に生まれたかによって、当人の容姿や能力のみならず、その後の人生の良し悪しまで決まってしまう」ということを、ゲームの「ガチャ」になぞらえて言う言葉らしい。
つまり人生なんて “賭け” みたいなもんだ、というわけだ。だって親は自分の意志や努力では選べないからねぇ。要するに運しだい。「ガチャ」といっしょ。
それも多くの場合、自分はその「親の賭けに外れた(傍点)」ことを、自嘲的に口にする時に使うらしい。多くは親に金があるか否かを問題にするらしいが、経済力だけに限らないだろう。
さしずめ、もしわしに子供がいたら「親ガチャに外れた」と言われそうだ。よかったよ、子供を産んでなくて・・・なんて、こんなところでそれを喜んでどうする!
何日か前の新聞の読者投稿欄で、次のような興味ふかい体験談を書いている人がいた。
その投稿者は現在50歳代の女性で、女ばかりの3人姉妹の末っ子に生まれた。
ところがどういうわけか、姉たちに比べて、彼女だけが器量が目に見えて悪かったという。
女の子だけに、彼女自身も早くからそのことに気づいていた。なぜ姉たちに比べて自分だけこんなに可愛くないの? と神サマを恨むような気持ちになることもあったようだ。
ところが救い神がいた。父親だった。
彼女の父親は、彼女が物心つくかつかない内から、何かというと彼女を膝の上に抱き上げて、「○○ちゃん(彼女の名前)は笑顔がとても可愛いよ」とか「○○ちゃんは笑うと、ホレボレするほど可愛くなるよ」とか言って、ギュッと抱きしめてくれたという。
彼女が大きくなって、物事の裏表が見えるようになると、姉たちに比べて自分が明らかに不器量だから、父親はわざわざそういうことを言うのだろうと、うすうす感じながらも、父親がそう言い続けてくれたことが、心の底での支えになったという。
だから日常生活でも、出来るだけ笑顔になるように心掛けた。どんなつらい場面でも、なるべく笑顔を作るように努力した。やればそれが出来ることが生きる支えになった。
今にして思えば明らかにそのおかげだと思うが、大人になっていく過程で、彼女は不器量であることが理由でそれほど嫌な思いを味わうことなく済んだという。いい夫とも結婚できたし、ふたりの子供もちゃんと育ってくれて、幸せな半生だったと振り返る。
笑顔が不器量を補ってくれた・・・という気がする。
もし逆に、自分が不細工に生まれたことに不服を抱いて、あるいはその理不尽さを神に恨んで、常に不機嫌な顔をしていたらどうだったろう。彼女の人生は間違いなく、暗く不幸なものになっていたにちがいないとわしも思う。
彼女の場合は、「親ガチャ」は良い「ガチャ結果」を生んだ。
楽しくない暗いニュースが多い昨今だけに、なんとなく気持ちが明るくなる小さな投稿記事だった。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。