名医も人間(上)

表参道

 もうだいぶ前に亡くなったが、遠藤周作という作家がいた。

 『海と毒薬』『沈黙』『深い河』など、神やキリスト教をテーマにした深淵な作品を書き、文化勲章も授与されたが、”狐狸庵先生” という別名も持っていて、ゲラゲラ笑えるエッセイも書きまくった大人気作家だった。

 だから元気いっぱいのイメージがあるのだけれど、実態はしょっちゅう入退院をくり返していた病弱な人だったという。
 実はこの作家、わしらがかつて東京近郊に住んでいた若いころ、わが住まいから歩いて1分ほどの近くに住んでいたので、特別に親しい感じがする。・・・といっても、直接付き合いがあったわけでは勿論アリマセン。ときたま路上で出会ったり、彼の家の前をしょっちゅう通ったりしてイマシタけどね。

その遠藤周作氏が残した言葉に、こういうのがある。

 “優れた医師と出会うことは、人間一生の大事業である”

 当時はこの言葉の真意をよく分かっていなかった。
 当方は病気と縁のないのが自慢の、健康大優良人間だったからだ。
 だが年齢を重ねて、カミさんがあちこちの医師の世話になるようになり、わし自身も脳梗塞をやって病院に1ヵ月近く入る経験をした現在では、この言葉の重要さは神棚に上げて拝みたいくらい分かる。
 
 そしてこの言葉は、医者に限らず歯医者についても同様である。
 いや体の医師以上に、優れた歯の医者に出会うことは難しい。街を歩いていて足を止め辺りを見回せば、必ずどこかに “歯” を掲げた看板を見るくらい、歯医者の数は多いけどね。
 歯科医には、わしも50代から、両手の指で間に合わないくらい世話になっているので、より身に沁みて分かる。

 ところが、阪神が百連勝するほど巡り合うのが難しい歯科医に、実はわしは奇跡的に出会ったことがあるのである。
 
 35年ほど前である。
 東京でも超有名な通りにあったビル(となりは森英恵のオフィスだった)の4階に、その歯科医の診療所はあった。
 座り心地のいい黒革の診療椅子に座ると、目の前に大きなガラス窓が広がっていて、そこに街路樹のケヤキの豊かな緑が迫っていた。まあ、最高級の雰囲気だった。
 
 最高級は雰囲気だけではなかった。ご本尊の歯科医は、超一流の腕前をもったプロ中のプロだった。

 そもそもは、カミさんが厄介な問題を歯に抱えていて、それまで優に7,8人の歯科医を渡り歩いたが一向によくならず、半年近く予約を待たされて東京医科歯科大学附属病院で診察を受けた結果、そこで直接紹介をされたのがその歯科医だった。
 
 そのころ彼は40代後半の働き盛りで、しかも上原謙(加山雄三の父親)に似た男前だった。一緒に働く女性従業員たちも、粒よりの美人がそろっていた。

 が、特出していたのは何よりもやはり歯科医としての腕前だった。何人もの歯医者の手に負えなかったカミさんの歯の痛みは、1回の治療でほぼ無くなり、その後2回通っただけで完治した。
 
 わしも彼にかかったが、治療中、信じられないくらい痛みがなかった。
 ・・・というか、他の歯科医に治療してもらっている時に感じる不快感がまるでなかった。口をあけ、薄い手袋をはめた手や器具が口中に入ってきても、ふんわりとソフトな感じしかなく、むしろ快いくらいだった。毎回ほとんど夢見心地でいるあいだに治療は終わるのだった。
 
 ところがである。人間というのは面白い。
 歯科医としてはこれほど完璧な彼だったが、実は思いもかけないところに欠点というか、ウィークポイント(…といっていいと思うが)を隠し持っていたのである。
 今回はもう長くなったので、それについては次回に述べる。
 

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