墓じまい始末記
文末に案内しているように、当ブログは月曜日と金曜日に更新することを原則にしている。
だが前回の月曜日は更新できなかった。
というのは、その日に、先ごろ亡くなった義母(女房の母親)の四十九日の法要と、菩提寺の先祖代々の墓じまいを同時にやってしまうという、ふつうではちょっと考えにくい強行作戦を敢行したからである。
そうでなくても老いざかりのわが手足や頭は疲労困憊し、ブログを書く余力がなかった。
この強行作戦を立案しリードしたのは実は義弟である。彼は女房の実家の長男という立場にある。
(彼がこの作戦を敢行した背景については、7月1日の当ブログ『あの世へジリ貧バスに乗って行く?(1)』を参照して下さい)
義弟はわしより10歳ほど若い。40代,50代の10歳の差は大して違いはないが、後期高齢期に入ってからのこの年の差は大きい。
彼はわしの年齢を経験していないから、82歳の肉体的・精神的状態がどういうものか知らない。
わしも、(愚か以外のなにものでもないのだが)老いさらばえていると思われたくなくて、この強行突破作戦に異を唱えなかった。そして精も根も使い果たした。自業自得というか、やせ我慢のしっぺ返しというか・・・。
それにしても、新仏の四十九日の法要を行った直後に、その仏が入るべき先祖代々の墓を潰してしまう・・・なんていう荒行を考え出した者も考え出した者だが、菩提寺がそんな “暴挙” を受け入れるとは、じつはわしは思っていなかった。わしが義弟に異をとなえなかったのも、どうせお寺さんに断られるワ・・・と思っていたからでもある。
ところがお寺さんは断らなかった。すんなりと義弟の申し出を受け入れたのである。
どうなっているの?・・・とわしは、(それを申し出た側の一員でありながら)首を傾げてしまった。世の中はどんどん変わっている。お寺さんも例外ではない。近いうちにお経もロボットがあげるようになるだろう。
ほかにも極めてアナログ的な問題があった。
義母の住居に置いてある遺骨を、法要のため菩提寺へ持っていかなくてはならないことだった。
だが当方は、車の運転免許証さえ返納している高齢の身だ。6キロ余の骨壺を、バスと電車と足を乗りついで2時間もかけて運ぶのはかなりキツい。そこで位牌だけではダメですかとお寺さんにお伺いを立てたら、「ダメです。お骨は必要です」とぴしゃりと言われてしまった。
・・・というわけで、義母の遺骨を大きめのボストンバッグに入れて肩から下げ、ラッシュアワーの名残りのある電車に2時間ほど揺られて菩提寺に運んだのだった。
そして帰りに遺骨は3体に増えた。
墓じまいをしたら2体の先祖が出てきたからである。
義弟は別方向へ帰るので、(持って行った義母の遺骨と合わせて)3体の遺骨は、76歳と82歳のわしら老夫婦が抱えて帰ることになった。
年はわしより多少若いが、老妻に2体持たすわけにはいかない。
で、1体は老妻が、2体の先祖はわしが両肩にぶら下げた。それで駅の階段を上り下りし、電車を乗り降りしていると、しだいに足元が怪しくなってきた。そのうえ紐が肩にくいこんできて痛くてたまらない。先祖が何かのペナルティーを科しているのでは・・・と疑った。
振り返ってみると、ペナルティーを与えられてもおかしくない数々の行いが思い浮かぶ。
仕方がないか・・・と歯を食いしばって、死者の重みが、生きてるわが肩に食い込んでくる痛みに耐えた。
翌日、引き取った先祖の遺骨は、実家近くのお寺で永代供養にしてもらった。
ひとまず肩の荷はおりた。
しかしわしの肩の骨は、今でもかなり激しく痛んでいる。
人間の死にからむ最低限の世俗行事を終えて思うのは、死者にまつわる諸行事はすべて生きている者のためにある、ということだ。
死者のためのものではない。
もちろんこれは無宗教人間のわしの考えることであって、異論反論はあるだろう。
それはそれでいい。
しかし、どこで生まれ、何を思い何を考え何を主張しようと、死ねばみんな骨になり灰になり土に還る。
それだけは誰にも否定できない客観的な事実だ。
で、ま、ひと言でいえば、人間ってそれだけの話。
ごくろうさんデス。
・・・としかわしには言えない。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
初めまして。リブラと申します。4月末に身内の者を亡くしましたので、心に染み入りました。
もう、若い方の時代と思ってみても、どこか不思議な・・・
ブログを始めて2か月。全くの素人で何が何だか分からず、ウロウロしています。
私の拙いブログ「ものぐさオバァは憎まれざかり」https://libra1009.blog.fc2.com/
にリンクを貼らせて頂いて宜しいでしょうか?